映画「ロストケア」を観て
何から目を背けているか?
それは、人それぞれだろう。
でも、確かに人は見ようとするものと、見ようとしないものを、密かに、静かに、そしてどこかに、抱えて生きているのかもしれない。
それは日の目を見ることなく終わるかもしれないし、ある日何かの拍子に人を責める芽を息吹かせるかもしれない。
人は、いつの日も穏やかで、ささやかな喜びのようなものと共に生きていたいと願うかもしれないが、破壊もまた、願わずとも訪れる人の宿命だ。
壊れゆく自身、壊れゆく家族、壊れゆく日常…… それらを避け、生き永らえてゆくことは不可能だ。
だから、精一杯とか、できる限りとか、今のうちに、とか、いろいろな言葉で今を生きるが、いざとなったら、目をそむけてしまう。
見たくないことを見ずにいてしまう。
そのまま人生を終えることも可能だろうが、それによる苦しみは消えない。
でもだからといって、真正直に見るべきものを見据えると、そこから激しい闘いは始まる。自己との闘い、真実だけれど、突きつけられる現実との容赦のない闘い、それらのものが始められる。
そして、疲れてゆく道をとるか、適度に辛い道をとるかー
いずれにせよ、悔いのない人生などあるだろうか?
「幸せだった」と言って死ぬ人は多いかもしれないが、それは全てを含んだ最後の境地なのではないか?
人はそう言って死にたいのだ。
自分の中の真正直な心に触れる検事。
人を救うとはどういうことか?
決して、真摯な心に目覚めさせることというものでもないだろう。
42人の老人を殺した犯人も「救った」と言いながら、本当の意味ではその本質を掴みきってはいないのではないか?
「人を救う」とは、何を指すのか?
疑問符だらけのテーマを、正解のない問題を、この映画はただ、突きつけるだけの役目を果たしたと思う。