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待つ姿は美しい

世の中便利になったおかげで「待つ」ことが少なくなった。ありがたいことだけど。一方で待つのが苦手にもなっている。

やかんに水を入れて湯をわかす。私はそんな時間も待てなくなっている。

仕事の成果も人の成長も。長い目で見る心の余裕をなくしつつある。すぐに結果を求める。

風邪薬だって「早く、効く」が売り文句。体調もすぐに元通りに治るのが当たり前。しばらく休んでゆっくり治そうと思う人は少ない。

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かつては待つ気持ちを表現する言葉がたくさんあった。

待ち遠しくて、待ちかまえ、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。待ちこがれ、待ちわびて、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人来たらず。

鷲田浩一「待つということ」


「待ちぼうけ」なんて概念も今じゃないかもね。来るか来ないかわからない人を待つなんて、昭和のドラマか歌謡曲の世界。令和の今、じっと待っているとむしろ怖がられるかも。

私の二十代のころはもちろんスマホも携帯もないから、いつだって好きな人には会いたくて会いたくて、会える日を待ち焦がれていた。

「会えない時間が愛育てるのさ」郷ひろみも歌っていた。「目をつぶれば君がいる」だけど、今だと24時間いつだって話せるし顔も見られる。

だけどもしあの時代にスマホがあれば、いつでも話せるけど、距離が近すぎてうまくいかず旦那とも結婚に至らずお別れしていただろうか?!

それとも旦那に出会う前に、LINEでグイグイくる人とつきあって結婚していたかも?!

スマホあるなしで恋愛模様も変わっていただろう。

タイミングが合わず、スマホがあればうまくいってたろうにってこともあったかもしれない。

だけどやっぱり愛は会って、目と目を見つめあって育てるもの。

Mr.Childrenの「靴ひも」のように、

靴ひもも結ばずに駆け足で飛び出して
停留所を通過してくそのバスに飛び乗って
あぁ一秒でも早く君の待つ場所へ

ちょっとした意地の張り合いで壊れた関係。大切なものに気づき、自分のなかの何かにつき動かされるように駆け出す姿はわくわくする。

彼女を追いかけるドラマのエンディングも昭和にはたくさんあったね。電話一つでLINEのひとことでは済ませられない。会って見つめて話さなくてはね。

彼女は待っていてくれるはず。スマホのないあの時代にはそう信じられた。だから一縷の望みに全力を尽くせた。待つとは信じること。待つ姿は美しい。


最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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ゆりのゆき@身体と心を整えます
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