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『コーダ あいのうた』~純粋な感動で心が洗われる

昨日、第94回アカデミー賞授賞式があり、『コーダ あいのうた』が作品賞、助演男優賞、脚色賞を受賞したとのニュースを受け、書きかけだった本記事に再び着手してみた。
ネタバレありです。

きっかけは息子がくれた


この春高校生になる音楽好きの息子は、音楽とっかかりで映画を観る。

ある日、
「この映画見たいんだよね~」「いい曲ばっかりみたいなんだ~」
と言うので、愛息とデートするチャンス!とばかりに
「じゃ、明日のエグゼクティブシート取ってあげるよ!」
とすかさず翌日の鑑賞座席を予約した私。
もう上映期間は終盤にさしかかっているようで、どの映画館も上映時間は夕方からしかなかった。

そんな調子で見に行ったのが3月の最初の日曜日。事前の情報収集はほとんど無しで『コーダ あいのうた』を観た。

あらすじ

豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。

映画『Coda コーダ あいのうた』公式サイト - GAGA

こちらが映画のダイジェスト。

純粋に感動し心が洗われる映画

後で知ったのだがこの作品、2015年公開のフランス映画『エール!』のリメイク版とのこと。
そして、恥ずかしながら私”コーダ”の意味を知らなかった。コーダ?あの楽譜の終わりについているやつ?coda?とそのくらいしか思い浮かばなかった。
”コーダ"とはCODA、つまりChildren of Deaf Adultsのことで耳が聴こえない、聴こえにくい親を持つ子供たちのことだと初めて知った。そのような子供たちは、幼い時から親の通訳者としてサポートすることが多いという。
この映画の主人公ルビーも、耳が聴こえない両親、兄と共に暮らす家族唯一の健聴者として、家族の耳となり口となり生きてきた。稼業である漁業も、ルビーなしでは行うことができない。
私がこれまで見たことがある障がいに関連した映画やドラマは、障がいを持った当事者が主役のものがほとんどだったような気がする。この映画のように、その家族が主役という作品は記憶している中では思いつかない。
この映画を通して、障がい者の親を持つ子供が受ける差別や偏見、抱える苦労や責任や葛藤を改めて考えさせられた。
聴こえないからこそ周囲の常識から少しズレてしまう両親のふるまいで、普通の高校生であるルビーは恥ずかしい思いをさせられたりする。そうか、そういうこともあるのか、と初めて認識した。

物心ついた頃から家族の通訳者として育ってきたルビーは、当たり前のように自分のことは二の次でいろんなことを諦めてしまう癖がついている。
そんなルビーが、恋や恩師との出会いにより歌を歌うという夢を見つけるが、やはり自分を頼る両親を見捨てることができず、夢を諦める決心をする。そんな中、妹には家族の犠牲になってほしくないと願う兄。そしてその兄と恋仲になるルビーの親友ガーティの助けもあり、家族は合唱の発表会で初めてイキイキと歌うルビーを見る。

この映画が他の映画と一線を画しているのは、聴こえない役を実際に聾唖者の俳優たちが演じていることだ。これは、オリジナルの『エール』でも実現されていなかったことだという。

合唱の発表会会場で、ルビーの家族が見ている光景が無音で表現されていた。無音の中で、周囲の人達が驚き手をたたき感嘆する様子をキョロキョロと見まわすルビーの家族。周囲の拍手のタイミングに合わせて拍手したり。
やがて周囲の人たちの表情で、身体表現でルビーの歌が只ものではないことを理解する。その過程がとてもリアルで、聴こえない人たちの実情をしっかりと見せてもらえた感じがした。

そして、手話がこんなにも表現豊かなものだと初めて知った。
音楽大学の推薦試験で、ルビーが家族にもわかるように手話を交えて歌うシーンでは、その歌声と共にルビーの感謝と愛情が手話によって溢れ出し、胸が熱くなった。
純粋な感動が沸きあがり、鑑賞後はとても爽快な気分になり、心が洗われる映画だった。

父が恋しくて初めて泣いた


ここからは、少し私自身の事情も含めた感想になる。

昨年末、がん闘病の末父が亡くなった。
私自身、父の介護に関してはやるだけやった感があり後悔はほとんど無いのだが、母には「あの時こうしていれば」という悔いがあるようで、私はそれを慰める役目にある。そうなると、なかなか思い切り悲しむことはできないものだ。
また、終活をほとんどしないで逝ってしまった父の相続手続きや残務処理などが予想以上に大変で、私には正直父の不在を悲しむ余裕もなく、どちらかといえばイライラ過ごすことが多いこの頃。

父は、家族への執着が人一倍強い人だった。そして、やたらと家族をコントロールする圧が強い人だった。

私にも地元に残ることを強く望んでいたが、好きな人を追って上京したい、と話した時のこと。一旦は猛烈な反対を受けたが、翌日出かける私を駅まで車で送った時に
「昨日は反対したが、”人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ”って言うのがお父さんのポリシーだったのを思い出した。それは子供でも同じこと。行ってこい。」と言ってくれたこと。

最初の結婚がうまく行かず、突然実家に戻り離婚の意志を伝えた私に、
「そんな夫婦はいくらでもいる。みんな我慢してやってるんだ。」と諭された翌日。
「昨日は頭ごなしに悪かった。hoofがそう思うならきっと間違っていなんだろう。思うようにしなさい」と言ってくれたこと。

亡くなる数週間前、父に
「お父さんの一番の願いはなに?」と聞いた時、
「お前たちが幸せであること」と言ってくれたこと。

この映画で、ルビーの父が娘の夢を後押しする姿を見て・・・そんな思い出が頭の中を巡っていた。
エゴの強い父にコントロールされてきたという想いがあり、大人になっても反発を抱いていたけれど、だけど、たくさんの、本当にたくさんの愛をもらっていたんだ。

そんな想いが沸き上がり、父が亡くなってから初めて、心の底から父が恋しくて泣いた。
泣いて泣いて、劇場を出るころには目が腫れあがっていた。
でも、心はどこかスッキリしていた。

本当に見てよかったな、と思った。
この映画が父の愛を思い出させてくれた。
劇場を出てから、激しく腫れた目で、息子に
「この映画に誘ってくれてありがとう」と言ったら、息子ははにかんで小さく頷いた。



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