“落語のエリート教育” その1〜神田伯山が「問わず語り」で指南
4月16日放送の「問わず語りの神田伯山」、会社を退社し暇を持て余しているリスナー(私か?)に対するアドバイスとして、落語を聴くことを伯山が勧めていた。凄く良いアイデアだと思う。不寛容な世の中にこそ、落語は重要だという意見に、全面的に賛成する。
そして、その為に“落語のエリート教育”を指南する。それはざっとこうだ;
1 寄席にいきなり行くのは避ける
2 DVDではなくCD(買うこと、余裕がなければ図書館で借りる)から入る。演者は、まず立川志の輔を5席程度聴く
3 志の輔で終わらず、古今亭志ん朝に行き、江戸弁のリズムを堪能する
4 三遊亭圓生に移り、「圓生百席」を中心に、1年間圓生のみ聴く
5 その後は、立川談志でも、志ん生でも先代桂文楽でも好きなものに行ってよし
6 志の輔・志ん朝・圓生で1年半ほど過ごすと、「笑点」を馬鹿にしたくなるが、これは誰にでも起きる症状
7 そうなったら寄席に行って、様々な演者との出会いを楽しむ。そうして5年くらい経つと、「笑点」を再評価するようになる
冗談を交え、面白可笑しく語っているが、 非常に良くできたアドバイスである。あっ、放送で伯山は「落語ファンとは関わらないように。あいつら“めんどくさい”から」と話しているが、私はまさしくそれである。
私も、落語を聴きたいという人に、いきなり予備知識もなく寄席に行くことは勧めていない。せめて、トリが鉄板でないと、落語が面白いと感じないリスクがある。そして、間違いないのは志の輔で、どんなネタでも、どんな観客でも確実につかんでくれる。
ただし、“志の輔落語”というフレーズもあるように、彼の落語は彼にしか作れない志の輔ワールドであって、伝承される伝統芸とは少し違うように私は感じる。もちろん、悪い意味ではなく。
したがって、志の輔を入り口としながら、本格的に落語の世界に踏み入れるためのゲートウェイは志ん朝である。立川談志の言葉を借りると、“作品派”である志ん朝の噺は古典としての骨格を崩すことなく、一方で、ジャズを思わせるそのテンポで聴くものを酔わせる。
この段階で、普通は落語が好きになっているだろうから、そのタイミングで今後のための物差しを自分の中にしっかり埋め込む。それが三遊亭圓生である。しかも、「圓生百席」はその芸を後世に残すべく、無観客のスタジオ録音した、お手本中のお手本である。
これにより、今後聴くであろう様々な落語家の好き嫌い、自分なりの評価を下す上での基礎的な素養が、ある程度備わるである。まさしく、“落語のエリート教育”である
明日は、それでは私はどんな“エリート教育”を自分に施したかについて書く
*伯山はYouTubeでは聴かないように言っていたが、立川志の輔作の新作落語の逸品「みどりの窓口」。よみうりホールで初めて聴いた時は笑いが止まらなかった
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