見出し画像

確かに“陽光の山水“だった〜出光美術館「生誕300年記念 池大雅」

出光美術館で3月24日まで開催されている、「生誕300年記念 池大雅ー陽光の山水」展。日本美術に疎い私のレーダーにはなかなか入ってこないイベントだが、毎日新聞が「移ろう季節、大気描く」という見出しで書かれた紹介記事を読み、興味を抱いた。

池大雅(いけのたいが)は、伊藤若冲(1716ー1800年)や円山応挙(1733ー1795年)と同時代に、京都画壇で活躍した。生年が今から300年前の1724年、享年が1776年である。

1716年から始まる享保の改革を含む、徳川吉宗(1745年没)の時代。それに続いて、後の老中・田沼意次が台頭という江戸中期。町人・商人の力が増してきた頃だろう。

キリシタン弾圧を経て、ヨーロッパ文化の輸入には厳しかったが、中国については寛容で、「唐絵」が多く到来する。中でも南画(文人画)が、池大雅などに大きな影響をもたらす。“文人“というのは、文化的な素養を取得した上級階級というイメージで、彼らの洗練された感性が、写実的な北画に対して、イメージを膨らませた絵を生み出した。

池大雅は、そうした唐絵に刺激され、日本の風景などを描き、さらには見ることのできない中国の西湖や洞庭湖を、自らの想像をフル動員し紙の上に再現していく。

山水というと、白と黒で描かれる画面と思っていたが、池大雅の作品を見てその考えが間違っていたことに気づかされた。実にカラフルなのである。墨だけで描かれた作品ですら、彩色が施されていたかのように思える。

その画風は、モネなどの印象派を想起させ、点描はジョルジュ・スーラやポール・セニャックを思わせる。まさしく、“陽光の山水“である。

その才能は二十代から開花しており、展覧会の3枚目「天邨千馬図」にまず驚かされる。まさしく、千頭の馬が緻密に描かれ、それが固まりとして点描のように一種の自然風景となる。(こちらのブログに、本作含め、画像がアップされています)

フィナーレをかざる「十二ヶ月離合山水図屏風」(1769年ごろ)は、それぞれの絵が素晴らしいだけでなく、全体が日本の四季の移り変わりが見事に表現されている。

中国の影響は当然として、前述のような西洋絵画に通じるものは何か。帰宅してから、日本美術についての私の参考書、辻惟雄著「日本美術の歴史」(東京大学出版会)を開いてみた。<中国を媒介として、あるいは享保五年(一七二〇)の洋書解禁を契機として紹介されたヨーロッパ絵画の手法は、画壇の各流派にさまざまなかたちで影響を与え、それらの新しい展開の支えとなった。>(「日本美術の歴史」より、以下同)

こうした<外来絵画の刺激>を受けた、大雅、本展展示されている国宝「十便十冝図」で大雅と競作した与謝蕪村、前述の応挙・若冲らの活躍について、辻氏は<京画壇はルネッサンスさながらの活況を示した。>と表現している。

ちなみに、同時代のヨーロッパと言えば、音楽の世界でJ.S.バッハ(1685-1750年)からモーツァルト(1756−1791年)へと向かうころ。ルネッサンス、バロック期を経て、ロココの時代である。

とすると、大雅らはキリスト教色が薄く、日本に持ち込みやすかったであろうバロック期の西洋美術、レンブラント、フェルメール、ルーベンスなどの空気、その背後に存在するルネッサンスの息吹も感じていたのではないか。

偉大なる西洋美術が、唐絵を吸収した大雅や若冲、次の世代になる葛飾北斎らの浮世絵などを経由して、19世紀の印象派の画家たちにつながっていったと想像するのは楽しい。

印象派をお好きな方は、きっとこの展覧会を楽しめると思う。

そして、世界がつながっていることが、視覚を通じて体感できるはずである


「十二ヶ月離合山水図屏風」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?