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近松門左衛門は世界へと羽ばたいた〜松井今朝子著「一場の夢と消え」

近松門左衛門と言えば、「曽根崎心中」を始め、「国性爺合戦」「心中天網島」といった浄瑠璃の名作を書き、それを基にした歌舞伎を含め、現代にもその作品が通用している劇作家である。

逆に言えば、私はその程度の知識しかない。

松井今朝子の書いた「一場(いちじょう)の夢と消え」(文藝春秋)である。昨年、“積読“を発掘し、「圓朝の女」(文春文庫)、「吉原手引草」(幻冬社文庫、2007年直木賞受賞作)と読んできて、これはチェックすべき作家と思っていたところ、今年新刊の本書が上梓された。

主人公は、近松門左衛門。物語の冒頭に登場するのは、武士の次男、信盛(のぶもり)は三井寺の別所・近松寺(ごんしょうじ)に身を寄せていたが、偶然、旧知の公家・正親町公通に再会、京都の町へと出ていくことになる。

こうして、杉森信盛は稀代の劇作家、近松門左衛門となっていくのである。

前述の通り、そもそも近松が江戸時代のいつの頃の人かも知らなかったし、その当時の浄瑠璃(近松と共に、大阪で人気となる竹本義太夫との関係も含め)や歌舞伎の状況も分かっていなかった。それが、本作によって、立体的に、そして興味深く感じることができた。

本書から印象に残った箇所を挙げてみよう。

<昔の芝居は、一座の主な役者がセリフを拵えて、他の役者と車座になって一場面ずつセリフを口写しに教えたという>。芝居が長くなると、さすがに書き残すようになったが、書くのは役者だった。そうした頃に、金子吉左衛門という役者が信盛に、<どうじゃ、此度はいっそあなたが狂言作りをなされませぬか>。

信盛が竹本座のために最初に書いた作品が「出世景清」(1685年)だが、ヒットしたこの浄瑠璃にこんな感想が寄せられる。景清の愛人・阿古屋の心に泣けたとし、<「これまでの浄瑠璃はいくら話の筋が面白うても、人の心模様はお構いなしに事が運ぶため、途中でどうもひっかかりがござりました〜(中略)〜古くさい浄瑠璃とははっきりと違う新たな浄瑠璃を聴いた心地がしました」>。

信盛にとっては、竹本義太夫ら浄瑠璃の太夫との出会いが重要であるが、歌舞伎の役者からも刺激を受ける。その最たるものは、坂田藤十郎である。彼の存在により、信盛は浄瑠璃・歌舞伎の境界を飛び越える作家へとなる。

話はそれるが、二代目中村扇雀→三代目中村鴈治郎は、近松作品のあたり役を数多く有するが、2005年に四代目坂田藤十郎を襲名。私も襲名披露興行を観た。こうして名跡が引き継がれたことにより、本作を読むに際しても、初代藤十郎がなにか身近な存在に感じる。名前を生かすことは大事だと改めて思う。

その四代目藤十郎の代名詞とも言える「曽根崎心中」創作の過程も当然登場する。実際にあった事件を脚色し舞台で上演する、信盛は現実の出来事を常に「劇化」という視点で見つめ続ける。

徳川吉宗の倹約政策も、信盛の活動に少なからぬ影響を与える。それも、一つの創作を後押しするエネルギーになったのかもしれない。

そう言えば、四代目藤十郎がお初を演じた「曽根崎心中」はロンドン公演も行い、私も足を運んだ。自作がまさか海外で上演されるなんて、京・大阪という地域で活動した近松門左衛門、想像もしなかっただろう。

<舞台を見て我を忘れるのはほんの一瞬に過ぎない>。そんな一瞬を求めて、私たちは劇場に赴く。それは、日本だけではない。近松が作った“一場の夢“は、京・大阪を飛び越え、日本全国に、さらに世界へと広がっていったのである


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