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落語を巡る冒険(その2)〜師匠、三代目三遊亭遊三のこと

昨日に続いて、1月から通い始めた落語教室のこと。

師匠の三代目三遊亭遊三、高座名は上から読んでも下から読んでも同じ、回文名になっています。昭和13年(1938年)2月28日生まれ、今年で87歳。

昭和30年入門、昭和39年に真打昇進、落語芸術協会の香盤では一番上です。落語協会を見ても、鈴々舎馬風、林家木久扇といった最古参の方々が、昭和48年真打昇進ですから、いかにベテランかが分かります。

高座の枕では、「前座修行を一緒にした仲間が、皆あっちの方に行っちゃって」と、同世代の落語家の名前を話されます。こんな方々です、

立川談志 前名・小ゑん  昭和11年生 昭和27年入門 38年真打
三遊亭圓楽(五代目)前名・全生 昭和8年生  昭和30年入門 37年真打
古今亭志ん朝 前名・朝太 昭和13年生 昭和32年入門 37年真打
桂歌丸 昭和11年生 昭和26年入門 43年真打

遊三の一番弟子が、「笑点」でお馴染みの三遊亭小遊三、今年の正月特番で師弟大喜利で、二人で登場しました。遊三曰く、「師弟で後期高齢者」。

遊三師匠は、高齢ではありますがお元気で、滑舌も良く、声に張りがあります。お酒を召し上がらないのも良いのかもしれません。教室でも、我々と気さくにお話しいただけます。

真打昇進時に、三代目遊三を襲名されたのですが、前名はとん馬。前座修行時代には、二代目遊三(1881ー1963年)は存命だったそうですが、昇進を機にご遺族に名跡を貰いに。二代目の娘さんは「落語界のことはわからないので、初代の遺族にお伺いを立てて欲しい」と。そこで、初代遊三のお孫さんにあたる俳優の十朱久雄(十朱幸代の父)のもとに出向き、お願いしたそうです。そして、十朱氏は、評論家の安藤鶴夫に相談し、襲名を了解されたとのことです。

三代目遊三の師匠は、四代目三遊亭圓馬(1899ー1984年)。Apple Musicに「師匠を語る〜三代目・三遊亭遊三が語る、四代目・三遊亭圓馬」というインタビューがアップされています。遊三師匠は俳優を志望したのですが、軌道修正、遠い親戚にあたりお父様が交流があった圓馬に弟子入りすることになる。そんな経緯を話されています。

系譜をたどると、四代目圓馬は戦前は大阪で活躍し小圓馬として真打昇進、随分女性にモテたそう。真打昇進時は、三代目圓馬(1882ー1945年)門下でした。小圓馬は、戦後に東京に戻り、四代目圓馬を襲名しました。

さて、この三代目圓馬ですが、大阪出身ですが、東西両方の落語を演じることができました。昭和の名人・八代目桂文楽が<こよなく敬愛し、稽古に通って「素人鰻」>などを教わった師匠です。(竹書房「立川談志 芸談集」より)

正岡容の「わが寄席青春録」には、こんな記述があります。<私は三遊亭圓馬(注:三代目)の門を叩いて、ことごとくその神技に傾投、間もなく圓馬の忰分となり>。さらに、「寄席」では、<圓朝の真の呼吸を写したといわれる三遊亭圓馬という生粋の江戸っ子>と、三代目圓馬を形容しています。

三代目三遊亭圓馬の師匠の一人が、初代三遊亭圓佐、そして圓佐の師匠が三遊亭圓朝となります。圓馬は、女道楽の初代立花家橘之助の門下にいたこともありますが、橘之助の大師匠も圓朝です。

私は、ダラダラなにを書いているかというと、遊三師匠は“大圓朝“につらなる落語家であり、その人に私は落語を習っているという幸福を記録したかったのでした


*系図は、三遊亭圓雀さんのサイト「古今東西寄席紳士録」から無断転載です





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