中川右介が書いた姉妹編(その1)〜「松竹と東宝 興行をビジネスにした男たち」
映画を観るのは、たいていピカデリー系かTOHOシネマズ。歌舞伎座の幕見にミュージカル「トッツィー」、松竹か東宝のお世話になりながら、楽しみを見つけている。
映画館・劇場といった日本のエンターテインメントには欠かすことない二大巨頭を題材にした作品が、「松竹と東宝〜興行をビジネスにした男たち」(光文社新書)である。
“松竹“は元々“まつたけ“と読んだ。明治10年、京都の劇場売店(当時は、劇場経営から独立した業だった)を営む大谷家に、双子の男の子が誕生した。兄が松次郎、弟は竹次郎。兄は養子に行き、白井姓となったが、この白井松次郎と大谷竹次郎という京都の芝居小屋・祇園座とその周辺で育った二人が、京都から大阪、そして東京をも飲み込む一大興行グループとなる。
東宝の創業者、小林一三(いちぞう)は明治6年に生まれる。山梨の裕福な家の長男で、長じて慶應義塾に進学する。上京してから2年後、1889年に木挽町、今の東銀座に歌舞伎座が開場、小林青年は芝居にのめり込む。
当時のトップスターは、“劇聖“九代目市川團十郎、歌舞伎座の実質的座頭だった。團十郎は京都の祇園座にも出演、当時はまだ若手だった、上方歌舞伎の名優、初代中村鴈治郎と共演する。
<同じ時期に「團十郎を見た」三人だが、小林一三は客席からだったのに、松次郎・竹次郎は客席後方あるいは舞台の袖からだった。>(「松竹と東宝」より)
こうして、東西で舞台を見ていた“松竹“兄弟と、小林が、“松竹“vs“東宝“として、互いに刺激しあいながら、また戦いながら日本における舞台芸術を作り上げていくドキュメントを、本書は描き出す。
小林一三は、阪急電鉄の創業者でもある。むしろ、そちらが主だろう。需要のある場所に鉄道を敷くのではなく、鉄道を敷いてから宅地開発・宝塚歌劇のようなエンタメ施設の設立を行うという、鉄道需要創出モデルを作った実業家である。
したがって、彼の事業展開は、あくまでもビジネスとしての発想である。ただし、彼の中には「国民劇」を創り上げたいという、損得勘定を超えた大望がある。
一方の、“松竹“兄弟は、興行の世界が出発点である。初代鴈治郎との関係を始めとし、役者と興行主の関係性をベースに松竹王国は作られていく。小林の、宝塚音楽学校創設とは対照的である。
こうした両者が、どのようにシンクロしていくのか、そしてそれは日本におけるパフォーミング・アーツの発展をいかに左右していくのか。
歌舞伎・宝塚・ミュージカル・芝居の好きな方には、プロデューサー側に立った歴史を読み解くことにより、より面白く舞台を観られるのではないだろうか。そして、我々が今楽しめているのは、演者の努力や葛藤のみならず、“興行主“の存在が大きかったことが分かるだろう。
また、さほど舞台を見ない方にとっても、事業という視点からエンタメを見る、そのことによってビジネス全般に通じるテーマを感じとることができるのではないだろうか。
本書は、太平洋戦争の敗戦でいったん大詰めを迎え、その後の動きは簡単に触れられるのみである。「松竹と東宝」は、戦前からあった映画、そしてテレビの普及によって変革を余儀なくされていく。
それについては、本書の姉妹編へとつながっていく。
2018年に上梓された本書から5年を経て、著者の中川右介は“映画“という切り口から、「社長たちの映画史」(日本実業出版社)という労作を世に出す。松竹・東宝のみならず、今度は多くの“社長“が登場する群像劇の様相を呈する。
それはまた明日