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こんな作品もあったのか〜アガサ・クリスティーの異色作「春にして君を離れ」
「葬儀を終えて」が良かったので、アガサ・クリスティーもう一冊と予備知識なしに手に取ったのが、「春にして君を離れ」(1944年、原題: Absent in the Spring、Amazon Audibleあり)。クリスティーは、なんだかクセになる。
なにも知らずに読み始めると、これまで読んできたクリスティー作品とは全く違うことがわかる。なにせ、三人称で書かれているものの、小説のほとんどが主人公の夫人ジョーン・スカダモアの独白・回想で成り立っている。
ジョーンは、バクダッド在住の次女が病気になり、見舞いのために現地を訪れる。小説は、その帰途を描く。列車を乗り継いでイギリスに戻るのだが、天候が悪くなり足止めをくうジョーン。中東の街にあるレストハウスで時を待つ。その間に、彼女はさまざまな出来事に思いを馳せると共に、旅の中の出会いを体験する。
そこはかとない不気味さが漂うのは、いかにもクリスティー的であり、ジョーンとその夫ロドニーの関係も、平和なようだが、なにか秘密が感じられる。しかも舞台は、中東の土地。非日常の中で、ジョーンは夫そして子供たちを思う。
女学校時代の旧友、ブランチ・ハガードという人物が登場するが、これが個性的で興味が惹かれる。この人物がなにか事件を引き起こすのでは。
ホーエンバッハ・サルムというロシアの公爵夫人が登場する。ここでは、クリスティーお得意の、イギリス人気質と、欧州諸国人とのコントラストが描かれる。
「何が起こるのか?」と思わせながら、結局は。。。。
読み終わってから調べると、この小説はクリスティーが、メアリ・ウェストマコットという別名義で書いた六作の中の第三作。クリスティーは1921年「スタイルズ荘の怪事件」でデビュー、名探偵ポアロを世に出す。その後もポアロ・シリーズを書きつつ、新たなキャラクター、トミーとタペンスやミス・マープルを生み出す。一方で、1931年にメアリ・ウェストマコット名義で「愛の旋律(原題:Giant's Bread)」を発表する。
そんな作品もあったのか。知らないことが、まだまだ沢山ある。だから面白い。
“ミステリーの女王“への道を歩み始めていたクリスティーだが、自身の小説世界をもっと広げたかったのだろう。この「春にして君を離れ」を読むと、「クリスティーって本当はこういう小説を書きたかったのでは」と思わせる。ちなみに、出版当時の読者は、これがクリスティーの別名義作品であることは知らなかった。
本格ミステリーについては、“トリック“に目が行きがちだが、クリスティー作品の面白さは、動機のところにもあると思う。「春にして君を離れ」を読んでいると、この“動機“の部分を徹底的に掘り下げるとどんな小説になるか、それを示しているようにも感じる。
なお、タイトルの「春にして君を離れ」は、シェークスピアのソネットから採られており、ソネットは小説中の小道具でもある。それについては、こちらの記事に詳しく書かれている。
さて、いつもの通り霜月蒼の「アガサ・クリスティー完全攻略」を見てみよう。
「葬儀を終えて」に続いて、またまた出ました五つ星!! “未読は許さん。走って買ってこい“である。
本作について霜月氏は、ゴシック表記で<未読はおれが許さん>(「アガサ・クリスティー完全攻略」より、以下同)と書いている。さらに、<「ミステリの職人」という器からあふれ出してしまう「クリスティー」が、最高度に凝縮されたかたちで結晶した傑作>と評している。
アガサ・クリスティーさん、あるいはメアリ・ウェストマコットさん、現代の読者にも響いていますよ!
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