94回目の「牡丹灯籠」@本多劇場と三遊亭圓朝(その3)〜怪談と仇討ちの融合
(承前)
「牡丹灯籠」の怪談部分については、中国の「剪燈新話」に原典がある。岩波文庫の、奧野信太郎の解説によると、仇討ち譚については、牛込軽子坂に住む旗本の隠居から圓朝が聞かされた話に着想を得たという説があるようだ。
圓朝の創造力、連日寄席に客を呼ぶための必要性、こうしたものが絡み合って、この壮大な因縁物語が誕生したのであろう。
それにしても、なぜ怪談と仇討ちを結びつけたのだろう。ここからは、私の想像の世界である。
橋本治の「大江戸歌舞伎はこんなもの」によると、歌舞伎の正月興行は「曽我狂言」、曽我兄弟の仇討ち話に決まっていたそうだ。しかも、一年の半分は「曽我狂言」をやっていた。また、別の仇討ち物「忠臣蔵」は、客を呼ぶための切り札だった。つまり、当時のエンタメの王道は仇討ちであり、この勧善懲悪ストーリーで、観客は“めでたし、めでたし“を楽しんだのだ。
三遊亭圓朝は「牡丹灯籠」において、中国から来た怪異譚を楽しませつつ、仇討ち話を主題とし、エンタメの王道を行った。さらに聴衆の人生においても、時折顔を出す“因縁“というものを絡めて物語を作り上げたと思うのだ。
「牡丹灯籠」が作られたのは幕末、その後明治時代に入っても江戸の空気は残っており、主君や親、世話になった人への“忠義“という考え方が、社会に根強くあった時代である。
こうした考え方が薄らぐ中、「牡丹灯籠」においても、仇討ちの物語はどこかに消えてしまったのではないだろうか。それを、復活させたのが立川志の輔だったのである。
さらに、「牡丹灯籠」における仇討ちの流れは、現代人には理解が難しい。また、構造的にも複雑なものがある。特に前者が、現代において本作の本筋といってよいパートが演じられなくなった理由なのだろう。
旗本 飯島平左衛門ーその家来 黒瀧孝助ー孝助の父 孝蔵(故人)
平左衛門の側室で悪女 お国ー彼女が密通する宮野辺源次郎(お国にそそのかされ、平左衛門の殺害を企む)
このような関係の中、孝助の父・孝蔵は若き日の平左衛門に殺されていた。非は孝蔵にあり、孝助は平左衛門が実父を斬ったことは知らず、平左衛門に真摯に仕えている。孝助が亡父の仇討ちを心に秘めていることを知った平左衛門、孝助の気持ちに免じて“自ら“彼の槍にかかる。同時に飯島家再興を孝助に託す。
手負いの状態で平左衛門は、源次郎の企てを察知しており、源次郎・お国を亡きものにしようとするが、返り討ちにあう。これによって、孝助の仇討ちは、主君のそれに切り替わり、お国・源次郎を追いかけることになる。
さらに、物語のクライマックス、孝助が二人を追い詰めたところでも、また別の“忠義“が登場し、現代人の頭ではなかなか納得できない場面も登場する。逆に言えば、それが本作を面白がるかどうかのポイントとなる。
こうして改めて書いてみると、上記の物語と怪談話と何が関係あったのだろうと思う。書いた通り、幽霊となる美女・お露は平左衛門の娘である。この細い糸に加えて、“因縁“が次々に登場する。志の輔の公演当日、登場人物の相関図を印刷した団扇が配られた。これを見るだけでも、物語の壮大さがわかるだろう。(志の輔が「一箇所間違いがあります」と話していた〜飯島平左衛門は娘のお露と結びつかなければいけないのだが、お露の恋人 新三郎と結ばれている。これも愛敬)
団扇に描かれた人々がどのように関連していくのか、それについては、是非原作を読んで楽しんでいただきたい