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RCサクセションがきこえる〜片岡たまき著「あの頃、忌野清志郎と」

昼食時の定期的回遊先、有楽町の三省堂書店。大抵は1階を眺めるだけなのだが、この日は2階の文庫・新書売り場をチェックしに上がった。ちくま文庫の平積みの中に、「あの頃、忌野清志郎とーボスと私の40年」という本が並んでいた。3月の新刊である。

2009年5月2日は忌野清志郎の命日。その5月2日を前にしてこの本が目の前に現れた。何かを感じて、久方ぶりに紙の文庫本を購入した。著者の片岡たまきは、RCサクセションの大ファンという立場から、なんとかして彼らと仕事をしたいと念じ、さらに行動を起こす。遂には、事務所での仕事を獲得、バンドの衣装係からマネージャーへと関与の幅を広げていく。

そんな彼女が、ファン時代から清志郎が天国へと旅立つまでの思い出を語った素晴らしい一冊である。

RCサクセションのセカンドアルバム「楽しい夕(ゆうべ)に」(1972年)に絡めて、次のような文章があった。

<清志郎の歌の世界に出てくる言葉は、きっと、だれか個人に向けて歌われていて、たくさんのファンにとって、それがおのおの個人的に響くのだ>

なるほどと思った。私が清志郎の歌に刺激されるのは、この文章に表現されている側面が多分にある。忌野清志郎は、多くの作品でパーソナルな世界を歌う。しかし、「スローバラード」の“市営グラウンド“、「トランジスタラジオ」の学校の屋上、あるいは「多摩蘭坂」は、もちろん自分の世界とは別の場所にあるのだけれど、なぜか自分の住む場所と地続きであるかのように感じられ、それが心をつかむのである。

片岡たまきのこの本も、極めて個人的なことなのだけれど、どこか私自分とRCサクセション、忌野清志郎との関わりを記しているかのごとく感じられる。それは、彼女自身の才能と共に、RCや清志郎と過ごした日々を通じて、自身と他者をいかにしてつなげるかということを体得した結果ではないか。

もちろん、具体的な接点もある。彼女がツアーに同行することとなる80年代前半は、RCのブレイクの時期であり、私も追いかけ、かつて記事にもしている。

1987年、清志郎はイアン・デューリー&ブロック・ヘッズを迎え、初のソロアルバム「RAZAOR SHARP」をリリース。彼らを率いてツアーも行い、たまきさん(ここからは、そう呼ばせていただく)は衣装係として同行、私は観客席にいた。

1990年、RCサクセションの記念すべき20周年の年にその活動は休止。 たまきさんもバンドから離れる。私も結婚、子供ができるなど、生活も変化し、ライブとも距離が出来ていた。

そして、<(1994年)8月13日、私はこの夏を待っていた。日比谷野音で、清志郎とチャボは共演を果たす>。この奇跡の瞬間には、たまきさんも私も、とんでもなく長い本書の解説を書いている竹中直人も客席にいた。

このコンサートの2年後から、私は長いロンドン駐在に入り、ソロ活動する忌野清志郎とは疎遠にならざるを得なかった。

再開したのは、帰国後2004年のソロ・コンサート@渋谷公会堂。たまきさんも長いブランクのあと、このコンサートから清志郎を再びサポートすることとなる。残念ながら、私にとっては最後のライブだった。

最後の数章は、涙なくしては読むことができない。今回の文庫版に追加収録された、小林和生〜「リンコさん」も切ない。

忌野清志郎の最後のアルバム「夢助」に収録された、“激しい雨“はこんな歌詞だ

季節はずれの 激しい雨が降ってる
たたきつける風が 泣き叫んでる
お前を忘れられず
世界はこのありさま
海は街を飲み込んで ますます荒れ狂ってる
築きあげた文明が 音を立てて崩れてる
お前を忘れられず
世界はこのありさま
Oh 何度でも 夢を見せてやる
Oh この世界が 平和だったころの夢
RCサクセションがきこえる
RCサクセションが流れてる



今もRCサクセションは、そして忌野清志郎がきこえる。たまきさん、ありがとう!



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