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冬子という女性のあり方〜川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」

川上未映子の「すべて真夜中の恋人たち」が、全米批評家協会賞の最終候補作ノミネートの報道がなされた。このニュースを見て、「あぁそうだそうだ」と、未読の本の中から本作を探しあてた。ひょんなことで、記憶が呼び起こされる、いつもこうだ。

川上未映子は2008年「乳と卵」で芥川賞を受賞。それを読んだ時は、あまりピンと来なかったのだが、受賞後第一作「ヘヴン」(2009年)を読んで、楽しみな作家が現れたと思った。

近作の「夏物語」、このブログでも記事にした「春のこわいもの」と、このところは新作を楽しみに待つ作家となった。本作は、「ヘヴン」に続いて2011年に発表されたが、例によって“読むべき本“の中に埋もれていた。

主人公の入江冬子は校閲者。本の原稿をチェックし、間違いを修正する仕事である。クリエイティブとは言えないが、本が世に出る上で極めて重要なプロセスである。校閲者は本の内容に入り込んではいけない。一定の距離を保ち、ひたすら間違いを探す。その仕事の性格と、冬子の生き方は相呼応するものがある。

変化とは無縁に見える冬子の生活だが、変化のない人生など存在しない。冬子は、お酒を飲むようになり、一人の男性、三束(みつつか)と出会い、光とは何かを知る。

小説のプロローグは、こう始まる。

真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。
それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思いだしている。


そして最後は、

昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつなんですよ。
そうですね、三束さん。なんでもないのに、涙がでるほど、きれいです。


冬子の人生に”おおきな光”は当たっていないのかもしれない。しかし、少なくとも”残された半分”は彼女を照らしている。それにより、冬子はどのような色になっているのか。その色は、どう変化しようとするのか。それが、気になって読むことが止まらなくなる。

この小説を読む際、一つ準備しておいて欲しいものがある。それは、三束さんが紹介する曲、ショパンの子守唄である。

ショパンのピアノ曲、「Berceuse 作品57」。インタビューの中で、川上未映子は辻井伸行の演奏を挙げていた。配信サービス、Apple Musicには彼の演奏のほか、ルービンシュタイン、ポリーニなどの演奏もあった。

ルービンシュタインは音の粒が弾んでいる。ポリーニは、しっとりした印象。辻井の演奏は、ルービンシュタインよりも、ぐっとテンポが遅くなっており、”子守唄”という印象が強い。それぞれ、味わいのある演奏で、彼ら以外のものも含め、本作と共に楽しむことをお勧めする。

冬子と三束の世界が、グッと身近になると思う。

川上未映子、本作も印象に残る作品だった。そして、2月20日は新刊「黄色い家」が発売される。
楽しみである


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