芸歴四十周年「立川談春独演会2024年」も千秋楽(その1)〜談志・志ん朝と「火事息子」
立川談春は芸歴四十周年記念として、東京では1月から有楽町朝日ホールにて、独演会を開催してきた。全部で20公演(殆どは昼夜2部)、談春ベストとも言うべき40席を演じるという趣向だった。
この興行シリーズも10月26日をもって千秋楽、その昼の部を聴いた。これで私は6回目、3分の1弱を体験したことになる。
この日の1席目は「人情八百屋」の予定だった。ところが、開演前に弟子の小春志のアナウンスで、「演目を変更、『火事息子』とさせていただきます」というお詫びの通知。
登場した談春が言うには、「9月29日の公演で『火事息子』を演じる予定だったが、準備が間に合わなかった。代わりに『人情八百屋』を演った。一ヶ月あればなんとかなるだろうとの目算だった」とのこと。私は談春の「火事息子」を聴いた覚えがあったので、あれっと思ったが、あとで調べると勘違いだった。
私が聴いた「火事息子」は春風亭一之輔の口演で、その時書いた記事を見ると、<笑いを取れる場面が少なく、難しい演目だろう>と書いていた。談春をしても、チャレンジングな演目なのだろうか。
東横落語会での思い出を語った。
当時のレギュラーメンバーには立川談志と古今亭志ん朝が名を連ねていたが、主催者側は気を使ってか二人の出番が連続するような番組にはしなかった。しかし前座時代の談春が楽屋に入った12月公演は、中入り後、談志『慶安太平記』、トリの志ん朝『火事息子』。二人の仲が悪かったわけではないが、楽屋では離れた位置に座り、会話はなかった。
出番となった談志、舞台に出る直前、志ん朝の方に目を向けることなく、「『火事息子』なぁ〜、ドラマが一つ足らないんだよなぁ」。すると黙っていた志ん朝が、「兄さん、そうなんだよ〜」。微笑む談志。
二人の落語観が通い合った一瞬である。
高座を降りた談志は、同行しようとした談春に、「志ん朝の『火事息子』聴いておいた方が良い。自分は一人で帰るから聴いてこい」と言った。志ん朝が亡くなった際、談志は「自分が金を払って落語を聴くとしたら志ん朝しかいない」と語ったことは有名である。
「火事息子」は、親子の話である。質屋の若旦那は火事が好きなあまり、“火消し“になろうとする。質屋の後継が“火消し“になるなどもってのほかと考える父は、町火消しを束ねる鳶の頭らに息子を入れないよう頼んだのだが、若旦那は「臥煙」と呼ばれる幕府直轄の定火消しになってしまう。
親の命令に背いた息子を、父親は勘当。親子は絶縁となる。
質屋の近所で火事が発生、卧煙となった若旦那が、蔵の目塗りをする番頭を助けるなど活躍。お礼を言うという名目で、父母は“赤の他人“となった息子と対面する。
“勘当“というのは極端な例としても、親が子の職業選択に口出しするのは当然のことである。家業の存続、世間体、さまざまな理由が複合的にあるものの、根底は子の幸せを願ってのものである。好きなことを職業にするのは、生やさしいことではない。親はその苦労を思う。
但し、仮に親の命に逆らったとしても、子を思う親の気持ちは変わらない。
「火事息子」はそんな噺であり、談春の高座は愛情にあふれていた。
終演後、談春は「火事息子」の出来は決して良くなかったとの感想を述べた。すると、前列のお客さまが「夜の部があるじゃない」と。談春「それを言っちゃぁ、おしまいよ」(笑)