河瀨直美「東京2020オリンピック SIDE:B」〜「人」がレガシーである
日刊スポーツの報道は、東京五輪・パラリンピック組織委員会は、6月21日開催の最終理事会での橋本聖子会長の言葉、「厳しい意見は多かったが、誰も経験したことがない大会を乗り越えた『人』がレガシー(遺産)」を紹介している。
SIDE:Aに続いて公開された、「東京2020オリンピック SIDE:B」はアスリートや大会を支えた「人」が主役である。
昨年の私は、「何もコロナ禍で混沌としている中で、聖火リレーなどやらなくともよかろう」と思っていた。この映画を見て、そうした考えがいかに浅はかで、根拠のないものであったことを認識する。もちろん、感染リスクはゼロではない。去年と現在では状況が違う。それでも、あの聖火リレーに参加すること、それを目撃することで、いかに多くの人が元気づけられたか。映像はそれを見せつける。
何ごとにおいても「やめる」ことは簡単である。時には「やめる」勇気が必要である。一方で、やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がマシとも言える、東京2020は、こうした想いに振り回された大会である。
私は映像を追いながら、「やって良かったなぁ」と思った。お金の問題を始め、そもそも誘致するかどうかのタイミングで議論すべきことに関しては、私も全面的に開催を支持する立場ではない。但し、やると決まった以上、そのことを蒸し返しても詮無い。
誘致判断の是非、延期開催に関する適切性については、収支報告を含めたドライな総括は当然必要だ。加えて判断を評価する上では、数字に表れない無形のレガシーについても考える必要がある。その一端がこの映画で表現されている。
観客の入らない仮設スタンドを作った人々、「裏方」と自称しながら「晴れ舞台じゃないですか」と言われ涙する選手村食堂を司る人、南スーダンの選手をサポートする前橋市の人々、その支援と国の誇りに動かされる選手たち、突然のスタート時間変更に対応する札幌の関係者たち。コロナ禍での対応に、人々の強さが映える。これらは、確実に無形の資産となっており、将来に価値を創出すると思う。また、創出できる社会にしなければならない。
一方で、森前会長発言に象徴される、ジェンダー問題は意識され、その象徴的な存在として橋本聖子会長の姿がある。「厳しい方の道を選ぶ」と語る彼女の存在感は格別である。橋本会長の下で大会が開催できて良かったと思った。姿が印象的だったので、帰宅後、笹川スポーツ財団が掲載しているインタビューを読んでみた。アスリート時代から、前例のないことをやってきた彼女、国会議員としても、議員になった後に結婚した女性第一号、国会議員として出産した二人目(参院では初めて)、当時は議員欠席の理由に「出産」というものは無かった。
日本が女性の社会進出において、諸外国に大きく水を開けられているのは周知の事実である。その真因について、我々はどこまで真剣に考えているのだろうか。
森喜朗が述懐し、過去の行動を振り返り、「もう少し(会長ポストに)しがみついても良かったのかも」といった発言をする。個々の失言は大きな問題ではなく、そうした発言や行動を生み出してしまう、社会の根っこにあるもの、それを掘り返すことが必要なのだろう。
映像には五輪の開催に反対する人々も映し出される。東京のみならず、広島を訪問するバッハ会長に抗議する集団も。これを見ながら、「この人たちは何に抗議しているのだろう?」と思った。「今、五輪を開催することが、どのようなディメリットを社会に、あるいは抗議する人々に与えるというのだろう?」。それは、聖火リレーに対する私の態度と同じなのかもしれない。
色々と、考えさせられる映画だった。ただ、二子玉川の109シネマ、土曜日の昼13:35の回、観客は15人だった。残念ながら、多くの人を刺激するには至っていない
*うがった見方です。参院選を控えた政府与党が、東京2020というある意味ツッコミどころ満載の話題が蒸し返されないよう、映画の露出度を抑えているようにも思う