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立川談春の「紙入れ」と柳家三三の迫力〜「俺たちの圓朝を聴け!」第三部(その1)

9月に立川談春・柳家三三による公演「俺たちの圓朝を聴け!」の第一部を観た。三遊亭圓朝の「牡丹灯籠」を三部構成、二人のリレー形式で口演する企画である。第一部だけチケットを買っていたのだが、とても良かったので第二・三部も行こうと考えたが、二部は売り切れ、第三部だけ入手できた。私が特に聴きたかったのは最後の「関口屋のゆすり」だったので良しとした。

11月11日、有楽町朝日ホールでの第三部は、二人の対談からスタート。第一部から、一席目は「牡丹灯籠」に何かしらつながる演目を選んできたという。一部は三三の「宮戸川」だった。お花と半七が、ひょんなことから一夜を共にする話だが、続く「牡丹灯籠」でお露と新三郎が出会う場面にかけている。

二部は、談春が「野ざらし」を演じたそうだ。釣りに出かけた男が、髑髏を釣り上げ、これをねんごろに葬ったところ、夜に女の幽霊が訪ねてきたという話。もちろん、お露の幽霊とつなげている。

談春が「今日は俺が『紙入れ』を演るんだけれど」、その理由は「お露がもし生き続けていたら、『紙入れ』のおかみさんのように図太い女になったと思う」からだと。三三は「それは違うんじゃない」と反対したそうだ。私も「そうかなぁ」と思いつつ、二人の対談が終了し、談春の「紙入れ」を聴き始める。

毎回同じことを書いているが、この手の“軽い“噺をやると、談春の上手さが光る。おかみさん、彼女に呼び出される貸本屋の新吉そして旦那、それぞれの造形が見事なのだ。このおかみさん、やっぱりお露ではない、この後の「牡丹灯籠」で殺されるお峰、あるいは伴蔵が入れ上げるお国、彼女らがまっとうに生きたとしたら、「紙入れ」のおかみさんになるのではないか。

さて、柳家三三の「牡丹灯籠〜お峰殺し」である。

幽霊となり、牡丹灯籠を下げたお米と共に毎夜新三郎に会いに通ってくるお露。新三郎は人間だと思い喜んでいたが、隣人白翁堂勇斎からこの世のものではないと告げられる。新三郎は、良石和尚を訪ねお札をもらいそれを家の四方八方に貼る。さらに貸与された金無垢の海音如来の像を身につける。

お札のせいで家に入れないお米とお露、隣家の伴蔵に“お札はがし“を依頼、伴蔵は妻お峰に助言され、“お札はがし“の返礼として百両という金を、幽霊からせしめる。お米とお露は新三郎宅に侵入、翌朝新三郎は死体となって発見される。一連の工作の中で、伴蔵は海音如来像も手に入れ、お峰と共に江戸を逐電、栗橋宿へとたどり着く。

ここまでが第一・二部で、三三は伴蔵・お峰が栗橋宿で荒物屋を開き、商売が軌道にのったことから語り出す。余裕が生まれた伴蔵は、「笹屋」という料理屋の酌取女・お国にいれあげる。

「お峰殺し」は、①お峰が馬方の久蔵から旦那の浮気の事実を聞き出す〜②お峰と伴蔵の口論と和解〜③お峰の殺害〜と流れるのだが、三三はこの各場面を芝居の場面転換のようにツボを押さえながら展開していく。

②は修羅場から艶っぽいシーンへと変化するのだが、この裏表・明暗の場面が、③と対照する構造で、これをこしらえた大圓朝の素晴らしさ、それを臨場感一杯に再現する三三の芸に感服した。談春が彼をパートナーに選んだのがよく分かる。

そしてクライマックス、息絶え絶えのお峰が伴蔵にすがりついてくる、そして伴蔵はしがみつくお峰の手の指を。。。。。

「圓生百席」桂歌丸柳家喬太郎の音源を確認したが、すべて伴蔵がお峰を切った場面で終え、“指を。。。“の描写は無い。一方で、圓朝の速記本には書かれている。好き嫌いはあるだろうが、三三の高座は、伴蔵がお峰の指を切ることを語ることによって私の頭に刻み込まれた。迫力の話芸に、幽霊よりも人間が怖いと実感する

この熱演を受けて、立川談春演じる後半「関口屋のゆすり」へ。「牡丹灯籠」最大の謎にどう挑む


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