ICU⑪|最悪のシナリオ
(やっぱりか…)
“最も望まない相手” からの着信。
これまで何度も病院からの電話を受けてきたが、今回ばかりは気が重く、通話ボタンを押すことがこれほど嫌になった瞬間はない。
もしかしたら、先日のように“緊急ではない連絡” かもしれない…
と、一縷の望みにかけ、深呼吸して通話ボタンを押す…
電話の相手は、“ICUの看護師” であった。
「凰理くんのお父様でいらっしゃいますでしょうか?」
「もうご自宅に戻られましたか?」
と、開口一番に私たちが今どこにいるのかを尋ねてくる。
淡々としつつも、微かな焦りも混ざったような口調であった。
そして、すでに自宅に戻っていることを伝えると、
「すぐ病院までお越しいただきたいのですが、何時頃に到着できそうでしょうか?」
と、続けて看護師は言う。
状況的に “何かあった” のは間違いないだろう。
だが、今からタクシーを呼んですぐに向かっても、20分以上はかかる。
「早くて18時過ぎとかだと思います…」
と返答をする。
重ねて理由も問うか一瞬迷ったが、すぐには聞かなかった… というより “聞く勇気がなかった” という方が正しいかもしれない。
しかし、それを聞いた看護師は、
「18時… ですか…」
と、考え込むように答え、沈黙が流れる…
その一瞬の沈黙が想像以上に重い…
僅か数秒で、私の心拍数が急上昇していくのがわかった。
そんな中、意を決して沈黙を破り、看護師に尋ねる。
「息子に何かありましたか…?」
看護師は、冷静な口調で言う...
「凰理くんの “容態が急変” しまして、今すぐご両親にお越しいただきたいです」
「容態が急変」
今の私が、“最も聞きたくなかった言葉” であり、いわば起こって欲しくない「最悪のシナリオ」であった。
心拍数は加速度的に上昇し、全身から血の気が引いていく…
そして、いてもたってもいられず、電話を片手に家の中をただひたすらに歩き始めた。
だが、そんな中にも、
(まぁ… そういうことだよな…)
と “腑に落ちる” というか、これまでの嫌な予感や、得体の知れない胸騒ぎはこれだったのかと、僅かに冷静に捉えている自分もいた。
興奮、動揺、冷静 と、あらゆる感情や感覚が混在している…
さらに「死の世界線」のイメージが大きくなり、無駄に想像してしまう。
なんというかもう… 頭も、身体も、心も、全てが “バラバラ” だった。
もはや、“本当の自分の感情” がどれなのかすらもわからなくなっていた。
そんな私の姿を見て、妻も異変を感じたようで、取組が始まった大相撲中継を消音にし、不安そうにじっとこちらを見つめていた。
だが、そんな状況下でも、何とか看護師との会話は成立していたようで、すぐに向かうことを伝えて電話は終了した。
通話が終わったことを確認し、妻がすぐに私に尋ねる。
「凰理…?」
私の様子を見て察したのであろう… 今にも泣きだしそうな表情をしていた。
「うん… 容態が急変したみたいで、すぐ来て欲しいって」
「すぐタクシー呼んで行こう」
と私も、動揺する気持ちを抑え込みながら伝えようとするが、伝え切るより前に妻は泣きだしていた。
互いに想像したのは、他でもない、「最悪のシナリオ」。
私も妻も、“崩壊寸前” だった。
だが、“事態は一刻を争う” …
何よりも息子の元へ行くことが先決。
押し寄せる恐怖と闘いながら、タクシーを呼び、互いに準備を進めていく…