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誕生⑨|使命と意味づけ
入院部屋を後にし、再び待合室へ。
戻ってから少しして、「手術は18時30分頃からに変更」と看護師から伝えられたため、しばらく時間を潰すことになった。
待合室は、分娩室とNICUが隣接しているため、時間によって新生児の大合唱が聞こえる。
日中はそこまで気にしていなかったが、夜になってくると大学病院特有の静けさも相まって、より多く耳に入ってくる。
しかし、息子と同世代の子どもの鳴き声が思いのほか “心地よく” 感じる。
これも「親」になったからだろうか。
時折そんな風に思いながら、移動の時間を迎えた。
NICUから手術室への移動。
身体に無数の管をつけ「小さなベッド」に横になる息子の周りには、人工呼吸器用の巨大なポンプや点滴、検査モニターといった機材が配置され、それぞれを医療チームの医師や看護師が運びながらの大移動だった。
5分ほどして手術室へ到着し、保護者として立ち会い手続きを行い、再度医師から状況説明。
・先ほどの説明後から「投与薬の調整」などを行うも各数値の変化なし
・手術は大体2時間かかる
いくつか投与薬の調整をしたものの、数値の改善が見られなかったとのことだった。
しかしながら、言わばこれも想定内であったので、あとは手術での回復を祈るのみだった。
そして、医療チームの医師から、
「手術室入る前に、お父さん声をかけてあげて下さい^^」
と、時間を作っていただいた。
「これから最初の手術だね、頑張ろうね」
「お父さんも、みんなもついてるからね」
触れることが出来る範囲は僅かであったが、 “握りこぶしほどの頭” を撫でながら話しかける。
息子は浮腫みも増し、息も苦しそうであり、手術によってスムーズに呼吸できるようになることを願うばかりだった。
そして、改めて医療チームに頭を下げ、手術室へ入っていく息子を見送った。
その後、看護師とも相談し「夕食を取るのであれば手術開始時の『今』行った方が良い」とのことだったので、ひとまず夕食を先に取ることに。
何かあれば私の携帯に連絡が来る予定だったが、その時点でバッテリーが10%を切っていた。
モバイルバッテリーを昼間に使用していたものの、早朝からずっと携帯連絡を取ったり諸々しているとやはり減りが早く、人生で初めて「ChargeSPOT」を利用した。
先述の「Luup」と同様、近年の “シェアリングエコノミー” はこういう時に本当に助かる存在だと実感する。
そして、充電しながら夕食も済ませ、再び病院の待合室へ戻った。
待っている間、改めて妻や家族と連絡を取り、状況を説明したりしていたが、仕事合間の義母から
「生まれてすぐに手術とは、どんな『使命』を受けてきたんだろうか」
と、送られてきた。
今行っている「BAS手術」は、元々行う可能性は高かったにせよ、そもそも「完全大血管転位症」を持ってこの世に生を享けたこと自体、どんな「使命」なんだろうかと考えてしまう。
おそらく偶発的なことであるのだろうが、親として「肯定的に捉えたい」という心情から、どうも “意味づけ” したくもなる。
私たち夫婦も、妊娠中から「使命」について、数えきれないほど話し合ってきた。
こういう状況の時に、自分たちの精神を保つためだったとしても、肯定的な意味づけを考えることは、悪いことではないと思う。
しかしながら、私たち夫婦は
「どんな理由であれ『それでも、私たちを選んで生まれてきてくれている』」
ということに意識を向け、深く意味づけはせず「息子を信じる」ということに全てを捧げるスタンスでいることにした。
そういったスタンスは、この「BAS手術」を行っている時でも変わらず、私たち夫婦は息子を信じ、ある意味 “地に足がついた状態” でいることが出来ていた。
そして、時間は過ぎ、開始から2時間が経過した。