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ECMO⑮|再始動


悪夢のような宣告から一夜明けた、9月9日。


あらゆる感情になりながらも、周りの方たちのおかげで昨夜の時点で切り替えが出来ており、朝起きてからも前向きに思考は働いていた。

そして、午後から医療チームより経過の報告と、改めて今後の方針を聞くことになっていたため、それに向けて準備を進める。


また、昨夜から今日にかけて、両家のばあば(夫婦それぞれの母)からも連絡が来ていた。

私の母は昨日に引き続き時間を空けてくれており、義母もこの日は都内にいるということで、タイミングが合えば合流すると言ってくれた。

些細なことでも、こまめに連絡をくれて気にかけてくれること、そして息子だけでなく私たちにも意識を向けてくれることは、こういう状況では救いになるというか、心理的負担が軽くなる。

改めて、両家の母に感謝である。


そして、午後になり病院へ向かう。

いつものようにNICUへ冷凍母乳を届け、その後にICUへ。
(妻は、昨夜のあの状況でも「搾乳」をしており、そしてこの日の午前も止めることなく続けていた)


ICUに到着し、担当看護師が出迎えてくれた。
この日も、昨日の男性看護師であった。

説明室へ通され、医療チームの医師が来るまで、幾つかコミュニケーションを取る。

「昨夜は眠れましたか?」
「お食事はとれていますか?」

と気遣ってくれることが、息子や医療チームだけでなく、“親であるあなたたちも闘っているんだよ” と言われているような気がして、少しばかり報われた感覚になり、心が軽くなる。


そして、少しして外科医が説明室に入ってきた。

容態は、昨日から特に変わらず、良くも悪くも安定しているとのこと。

今後も当初と同じように、ECMO装着自体のリスクも見極めながら、可能な限り心肺を休ませ、最適なタイミングで再離脱をしていくことは変わらないということであった。

また、離脱の再トライの日取りとしては、「9月12日」・「9月13日」のどちらかになるとのこと。

これは、手術から約1週間、つまり「装着から約1週間」ということになる。
息子の身体的に、このラインが “ECMO装着の限界” であるということだった。

スタンスとしては、前回よりも “慎重かつ長めに” ということであり、そこが私たちの感覚や想いと一致しており、医療チームとも同じ方向を向いて、臨むことができると安堵した。


そして説明は終了し、そのまま息子の元へ。


到着してすぐに、

「凰理~、お父さんとお母さん来たよ」
「今日も頑張ってるね^^」

と、笑顔で声を掛ける。

顔色は昨日より落ち着いては来ているが、相変わらず身体の浮腫みはひどく、肉体はしんどそうである。


「今はゆっくり深呼吸しようね」
「落ち着いて身体全身にエネルギーを巡らせるようにね」

と、 敢えて具体的に伝える。

“言霊” という考えがあるように、息子にも伝わると思い、この日辺りからそうしていた。


そして、外科医と看護師に、改めてモニターの数値の推移や経過も報告してもらった。

今はもう覚えていないが、各機能の目安の数値などを教えてもらい、次の離脱日までどう推移していくかを、私たち自身の目で毎日確かめていくことになったのも、ちょうどこの日から。

「離脱の再トライ」に向けて、“再始動” でもあるこの日に懸ける想いは強かった。


そんな中、担当看護師から、 “ある質問” をされる…


つづく


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