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妊娠⑲|生命の誕生は神秘的
出産予定日(9月2日)が刻一刻と迫る。
幾多のイレギュラーを乗り越え、改めてここまでよく頑張ってきたと感慨深くなる。
妻のお腹に宿ったその日から、自然と始まった「寝る前の3人でのおはなし」も、もうすでに200日以上が経った。
少しずつ大きくなるお腹、激しくなる胎動…
妻の “命を懸けた姿” と、“溢れんばかりの生命力で成長する我が子” の軌跡を、父親としてずっとずっとそばで見てきた。
本当に、生命の誕生というのは「神秘的」である。
テレビや映画、小説、現代ではYouTubeなど、妊娠生活を描いたものは多く、私自身もこの人生で少なからず触れてきているはずであるし、親戚や友人、ましてや長男である私は “弟たちの出産” というのも小さいながらに経験している。
それでも今回、妻が妊娠したことで私自身が “親としての当事者” になり、その過程で、この人生で体験したことのない感情や感覚というのが、幾度となく現れることとなった。
世の中の親が「自分の子は特別」と思うことが、本当に腹落ちした。
そして、私たち両親だけでなく、じいじ・ばあば・おじおば・曽ばあば…と、家族にも心から愛されており、こんなに愛で包んでくれる家族はそういないだろうとも思ったし、本当に我が子は「幸せ者」だなと父親の私が羨むほどだった。
そしてまた、その家族みんなが息子の存在に “幸せ” を感じ、本当に誕生を楽しみにしてくれていた。
お腹の中にいる時から、これだけ周りの人間を “幸せ” にすることができ、あらゆる影響を与える我が子は、本当に神秘的な存在だと感じる。
きっとこれは、世界中の親が本来抱く感情だろうし、
(そうじゃない親がいるのも事実だろうが、潜在的な意識ではみんな存在していると私は思う)
改めて「赤ちゃん」「子ども」には、“底知れないエネルギーがある” とも感じた。
出産イベントもいよいよ大詰めというところで、こういった感情がどんどん出てくるようになった。
自然と私の脳内(潜在意識?)も「父親」にシフトしていき、本当の意味での「親の感情」が生み出され始めていたのかもしれない。
そういったことを考えながら、翌日に「自己貯血2回目」を控えた「8月21日」の夜。
この日も、いつも通り「3人でおはなし」。
「お母さんだよ~、お父さんだよ~」
「今日はどんな1日だったかな?」
と楽しく話し、息子もそれに応答するように胎動で合図。
(本当にコミュニケーションを取っている感じだった)
「よくここまで頑張ったね、本当偉いね!」
「明日は自己貯血だからね、お母さんを応援してね!」
「あと10日とちょっと、3人で頑張ろうね!」
と、こんな感じで話しをして、いつものように幸せな気分で眠りに着いた。
そして、翌日の「8月22日」。
時刻はまだ6時を回ったくらいだったか、
トイレから聞こえた、妻の大きな “吸気音” で目が覚めた。
激動の日々の終焉、そして「運命の1日」が始まる…