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誕生⑤|感動後のひととき


息子がNICUに入った後も、胸の高鳴りは続いていた。

改めて「父親になった」という事実に、目頭が熱くなる。


興奮冷めやらぬ中、ソワソワしているであろう両家に連絡をした。
(私も手が震えていて全然打てなかったが...)


瞬く間にグループLINEの既読数が増えていく。

みんながソワソワし、今か今かと待ち侘びていたんだと私も嬉しい気持ちになる。


そして、即座に返信が来て、それぞれの言葉で “祝福の嵐” となった。

特に、義母と私の母からは、「おめでとう」という言葉に加えて、「父親として頑張れ」という言葉が2人揃って書かれており、より「父親」として身が引き締まる思いだった。


祝福が言葉が続き、私自身も感動でフワフワし、地に足がつかなくなりそうになっていたが、まだ安堵は出来なかった。


それは「まだ妻が帰還していない」ということ。


先述の通り、妻は「全前置胎盤」という “ハイリスク妊婦” であり、出産時に「大量出血」「癒着胎盤」などの懸念があり、母体が危険の状態に陥る可能性がある。

さらに、今日は元々「自己貯血の2回目」の予定であったが、それをせずに急遽出産することになったため、 “予定の半分の血しか保存がない” という状況で臨んでいることになる。


感動の瞬間を迎え、家族からの祝福の連絡から少しして、冷静になった頭にあらゆる思考が巡ってくる。

おそらく、生まれる前より、この時が1番 “不安” だったかもしれない。

待合室の椅子に座り、目線を下に向け、ぼーっとしていた。


そして少しして、「○○さーん!」と、私の苗字を呼ぶ声が聞こえた。

看護師が私を呼びに来ていたようで、返事をしようと思った瞬間、

「はい」

と、私よりワントーン高い声の男性が返事をしていた。


(ん?)

と思い、顔を上げるとそこには、スーツケースを持った私の両親が立っており、父が返事をしていたようだった。


(まぁ、確かにあなたも同じ苗字ですしね…^^; )

と思いながら、改めて「○○です」と看護師に返事をする。


「赤ちゃんのNICU入院の書類です。必要事項を記入して、窓口に提出して来て下さい!」

この時息子がNICUに入ってまだ10分ほど。
妻もまだ処置は終わらないので、今のうちに提出して来て欲しいとのことだった。

私の両親に待合室で荷物を見てもらい、別棟の窓口に提出しに向かう。


15分ほどで戻り、待合室で私の両親と3人で待つことになった。

改めて、両親から祝福の言葉を受け、「お父さん」と呼ばれるのが嬉しかった。

対して私も、「おじいちゃん」「おばあちゃん」「じいじ」「ばあば」と呼び、3人で談笑していた。


「『お父さん』って呼ばせるの? 『パパ』って呼ばせる親も最近も多いけど」

と母から改めて尋ねられたが、私自身一度も「パパママ」呼びをしたことがないし、それは妻も同じだったため、特に相談したとかいうこともなく、「お父さんお母さん」と呼ぶものだと夫婦で認識していた。


「まぁしいて言うなら『Daddy』かな! カッコいいし(笑)」

と、呼びやすさで考えたら「ダディマミ」呼びも悪くないかなとも思っていたが、お腹の中にいる時から、「お父さんお母さん」と夫婦で名乗っていたので、もう「お父さんお母さん」呼びで確定しているようなものだった。


さらに会話していく中で、

「ところで、『体重』とか『身長』と『時刻』とか『血液型』とかどうだったの?」

と母に聞かれ、全然そこに意識が向いていなかったことに気づく。
(あれだけ「体重」のことを不安にしていたものの、感動で包まれると案外忘れてしまうものだと改めて思う)


近くにいた看護師に状況を話し、確認してもらった。

体重:2,167g
身長:43.5cm
時刻:13時31分

ということだった。
(血液型は厳密にいうと判定はもっと先だが、退院の際にお伝えすることになるとのこと)


(「2,000g」超えてた…)

「完全大血管転位症」の大手術に向け、最低越えていて欲しいラインとして「2,000g」と言われていたが、それも無事クリア。

3日前の健診では「2,000g」は僅かに届いていなかったが、先述の「実際はもう少しあると思う」という医師の見解もバッチリ当たっていた。


(本当にここまでよく大きくなったな…)

改めて感慨深くなり、まだ “米粒” くらいだった頃のエコーの姿が思い浮かぶ。( “こめちー” と呼んでいた )


(ちゃんと「2,000g」を超えたから、生まれる決断をしたんだな…)

と、息子を誇らしく思うと同時に、ちゃんと “意志を持って生まれてきている” と実感した。



つづく



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