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NICU⑤|2人のひいばあば


病院から帰宅し、私も休息をとる。

息子が誕生して2日も経つと、ある種の “興奮状態” も落ち着き、あらゆることに意識が向くようになる。


特に昨日から今日にかけて、思いを馳せていたのは、私の「祖父母」に対してだった。

私の祖父母、つまりは息子にとって「曾祖父母」であり、“ひいじいじ” と “ひいばあば” となる。


私自身は「長男」であり、父方母方の両家にとっても「初孫」であったため、生まれた時から両親だけでなく、祖父母にも本当に愛されて育った。

先述の通り私にとって「家族」という存在は、この世で最も大事な存在。

両親からはもちろんだが、祖父母も幼少期から “無償の愛” で包んでくれており、幼少期から私は「帰省」が毎度毎度楽しみだった。

この “幸せを感じる場所があった” ということが、私が「家族」という存在を大事にするようになったきっかけの1つなのは間違いない。


両家の祖父は、私が学生時代にすでにこの世を去っているが、祖母はそれぞれの生まれ故郷で暮らしている。

そして長いこと1人で暮らしているが故に、孫の私としても年々心配になっていく。


しかしながら、数年前に私が婚約した際、本当に心から祝福してくれて、実際に対面した時も、妻を本当によく可愛がってくれて愛で包んでくれた。

そこから、その後に迎える「孫の結婚式」という楽しみに向けて、2人とも本当にエネルギッシュになり、人間にとって「生きがい」というものが、これだけ人生に影響を与えるんだということを当時実感した。


そして、結婚式が終わり次の「生きがい」は、 “曾孫の誕生” だった。

それは私も妻も同じ思いで、「愛で包んでくれるおばあちゃんたちに、曾孫を見せてあげたい!」と互いに強く思っていた。


そんな中、今年に入り妊娠が発覚し、“母方の祖母” に連絡した際は、

「待ってました~!」

と、私が人生で聞いたことのないようなトーンで、盛大に喜んでいた。


その後も常々、「曾孫に会うために頑張る!」と言い、今か今かと待ち望んでいた。

そんな祖母の姿を見ていると「『新しい生命の誕生』というエネルギー」は、本当に底知れないものだとここでも実感した。


“父方の祖母” は北海道にいるが、妊娠報告した時から東京に来ることを目標に、こちらもまた待ち望んでくれていた。

しかしながら先述の通り、息子が生まれる約3ヶ月前の今年の春、突然倒れ重篤な状態に陥ってしまった。


緊急手術を受け、一時は生存がかなり厳しい状況であることを伝えられていた中、何とか一命を取り留め、そこから意識も取り戻し回復。

この奇跡の生還の要因に、私は “息子(曾孫)の存在” もあったと信じている。


北海道とは遠く離れた東京で、私たち夫婦と当時お腹の中の息子と3人で、祖母にエールを送り、祈りを捧げていた。

また、祖母の心の中に「曾孫に会う」という意志、そして息子にも “ひいばあばに会いたい” という意志があったのだと感じる。

数か月にも及ぶ入院・リハビリ生活を経て退院したが、まるで祖母の退院をこの世で祝うためかのように、退院の前日に息子は生まれた。


両家の祖母にも、改めて息子が誕生してから報告したが、本当に心から祝福してくれた。

これだけ、ひいばあばたちに愛されている「幸せな息子」だが、ひいばあばたちに「生きるエネルギー」を与えられる “尊い存在” でもあることが、父親としても本当に誇らしい。


(本当に “凄い子” が生まれたんだな…)

と感慨深くなり、命を繋いでくれた先祖の方々への感謝も湧いてくる、そんな日だった。


つづく


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