リー・トランド・クリーガー監督『アデライン、100年目の恋』
年を取るということは素晴らしいことなのだ、ということを教えてくれる映画。
※注意
以下の文は、結末まで明かすネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。
この映画の主人公は、アデライン・ボウマンという女性。
彼女は29歳の時、事故に遭いました。
そして彼女の時間は止まりました。
…と言っても、事故で死んだのではありません。
事故が起きた時、いくつもの偶然が重なって、彼女は不老不死の体となったのです。
彼女の夫は既に他界しているので、彼女の体のことを知っているのは娘だけ。
娘はどんどん成長していきます。
でも、彼女の見た目は29歳のまま。
やがて、娘の年齢は彼女の見た目を追い越しました。
娘が白髪頭で顔がしわくちゃなのに、母である彼女は若く美しいまま…。
何も知らない人から見れば、二人はまるで孫と祖母であるかのように見えてしまいます。
本当は母と娘という関係なのに。
「病気になったらどうするの?」
と彼女が言うと、
「そうしたらママが介護に来て」
と娘が冗談を言います。
不思議な光景ですよね。
…でも、この映画を観ている側としては、きっとこう心配すると思います。
いずれ母より先に娘が年老いて死ぬ日が来るだろう…と。
そうしたら、彼女は本当に独りぼっちになってしまって、これ以上生き続ける意味を無くしてしまうのではないか?
と…。
なお、彼女は美人なので、あちこち移動していく先々で男性たちが彼女を放っておきません。
時折、彼女も相手のことを好きになることがあります。
しかし、もしも「歳を取らない」ということがバレたら、大変なことになりますよね。
彼女はちっとも老けないことについて周りから怪しまれないように、名前を変えて遠くへ引っ越し続けなければいけません。
老けない体なんて、かっこうの研究対象ですからね。
バレたら、どこかの研究機関に捕まって、実験動物扱いされたり、解剖されたり、標本にされることだってあるかもしれません。
だから、彼女はどんなに好きな人が出来ても、相手に自分の真実を話すことは出来ませんでした。
相手からプロポーズされそうになったら、行方をくらますしかありません。
もし結婚したら、相手がどんどん年老いていくのに自分は若いままになってしまうから…。
…やがて。
彼女は107歳になりました。
見た目は29歳のままで。
いつまでもいつまでも名前を変えては逃げ続けるしかない人生に疲れた頃…。
彼女は一人の男性と出逢います。
今回も相手のもとを去ろうとする彼女に、娘はこう言います。
「すぐ彼に謝って。間違ってたと。もし自分のために出来ないならわたしのために」
と。
素晴らしい娘ですよね…。
決して老いることのない体を得ることもすごいけれど、それ以上に、母の幸せを心から願ってくれる娘を得られることの方がすごいことかもしれません。
彼女は娘の願いを受け入れました。
彼女は、相手のことを愛している自分の気持ちからも、相手の気持ちからも、もう逃げないことに決めたのです。
この映画は、冒頭でもお伝えした通り、まず、年を取るということは素晴らしいことなんだ、と教えてくれる映画。
しかし、それ以上に、偽りのないありのままの自分を受け入れてくれる人たちと出逢い、また、自分も相手から逃げずに相手を受け入れるということが、いかに幸せなことか教えてくれる映画でもあると思います。