頑張り過ぎている全ての人へ
Zさんが長期の病気休暇に入られました…。
毎日毎日、ただでさえ大変なお仕事をして、モンスタークレーマーたちに朝から晩まで集中攻撃されて罵倒され続けたら、そりゃ誰だって心身に異常をきたします。
Zさんはまだ若いのにしっかりしていて真面目で責任感のある人なので、周りからの期待に応えようと精一杯頑張ってしまい、周りも「この人は大丈夫なんだ」と思ってZさんにどんどん仕事を振り過ぎたんだろうな…とわたしは思います。
限界。
生身の人間に耐えられる最大値をはるかに超えたストレスに晒され続けたのでしょう。
Zさんが自分のキャパシティーを超えても尚お仕事を頑張らざるを得ない環境を、「No」と言いたくても言えない状況を、周りがよってたかって作り出してしまったのだろうなと思います。
↑わたしは以前こうして日記に書いた通り、前々からZさんが明らかに疲れていることに気づいていました。
Zさん本人からSOSサインが沢山出ていたのです。
Zさんはおっしゃっていました。
「休みが全然取れない」
「頭のおかしな人はみんな俺に回される」
「人手が足らない」
「俺とYの2人だけで回せる仕事量じゃない」
「G-darkさんが俺の職場に出向して一緒に働いてくれたらいいな」
「ストレス解消のために、つい煙草を吸い過ぎる」
「俺は今の部署にあと2年は居るはずだ」
…と。
ZさんはそうしたSOSサインを出しながら笑っていて、わたしが心配そうな顔をするとそれにすぐ気づいて笑顔になってくれました。
それは、かつて見せてくれた、ふわっと優しい微笑みとは全く違った作り笑い。
その張りついたような作り笑いがとても痛々しくて、わたしはその表情を見る度にかえってとても不安になりました。
しかし、もしわたしが「大丈夫?」とストレートな声のかけ方をしてしまったら、真面目なZさんの性格上、「大丈夫です」と答えて、余計に心を閉ざされることが目に見えていました。
そこで、
●Zさんを困らせている人の案件を率先して請け負う。
●Zさんから頼まれた仕事を最優先でこなす。どんなことでも決して断らない。
●Zさんに「頑張って」や「大丈夫?」といった言葉は絶対に言わない。プレッシャーにならない程度のさりげない褒め言葉を言ったり、趣味の話をしたり、愚痴を聞いたりする。
●Zさんがもらした愚痴を決して否定しない。茶化さない。ただただ聞く。
●Zさんがモンスタークレーマーに絡まれている時、黙って隣にいて、時折目を見合わせたり、「Zさんは手を尽くしてくださっているのに、あんな風にZさんのことを悪く言うなんて!」とモンスタークレーマーに憤慨しつつ、Zさんをフォローする。
といった対応をしていました。
同じ職場の人間ならともかく、別の職場の人間であるわたしには出来ることが限られていたので…。
外部の人間に過ぎないわたしからあからさまに心配されてしまうと、Zさんのプライドが傷ついて、立つ瀬が無くなったでしょうし…。
だから、さりげなくそばに居たつもりでした。
実は、Zさんがお休みに入られる2〜3日前に、わたしから声をかけて、こんな会話をしたのです。
わたし
「〇〇さん(モンスタークレーマー)、あんな風にZさんのことを悪く言うなんて酷いですよね。こんなにZさんが親身に手を尽くしてくださっているのに」
Zさん
「俺は大丈夫ですよ。丈夫なので。俺のメンタルの強さは総務課長のお墨付きなんです」
わたし
「強いんですね。でも、いくら丈夫でも、生身の人間だから限界はありますよね」
Zさん
「いえ…。〇〇さんのことは〝頭のおかしな人だ〟と思っているので、何を言われても大丈夫です」
わたし
「余計なお世話だとは思いますが、何かして欲しいことがあったら言ってください。Zさんはいつも〝大丈夫〟とおっしゃるし、信頼していますけど、心配なので…」
明らかにZさんの様子がおかしかったので、わたしはそんな声をかけました。
今まで、仕事でもプライベートでも、「大丈夫」と言って頑張り過ぎて、自分の心が壊れていっていることに気づかない人たちを何人も見てきたからです。
「気づいたら首を括っていた」とか「気づいたら電車に飛び込んでいた」といった悲惨なことになる前に、わたしはZさん自身にも、Zさんの職場の方々にも、Zさんの様子がおかしいことに気づいて欲しかった。
だから声をかけました。
気遣った「つもり」でした。
…しかし、今思うと、所詮は「つもり」だったのかもしれません。
もっとわたしに出来ることがあったかもしれない。
あの時かけたあの言葉は偽善的だったかもしれない。
もしもあの会話が受診のきっかけになったなら良かったけれど、あの言葉はZさんのプライドを傷つけたかもしれない。
いや、むしろわたしはZさんにかける言葉や笑顔が足らなかったかもしれない。
いっそZさんの上司のそのまた上司に「いくらしっかりしているとはいってもまだ若い男性に負担がかかり過ぎなのでは?」と直談判すれば良かったのかもしれない。
…と後悔ばかりが募ります。
しかし、むしろ、こうしてZさんがついに長期の病気休暇を取れて良かった…とわたしは安堵もしています。
逃げ道がどこにも無くて悲しい行動に出た…なんてことになるより、ずっとずっとずーーーっと良いです。
やっとお休みが取れたのですもの、これを機にゆっくり休んで欲しいです。
ごろごろ、ぐうたらしても良いのです。
朝から晩までぼんやりしたり、何もしない一日が何日も続いたって良いのです。
以前、わたしが仕事で関わった人が「自分は仕事をするわけでも勉強をするわけでも趣味のことをするわけでもない。自分はただ食べて寝て出すだけの肉の塊だ。社会の役に立たないなら存在価値が無い。死にたいというよりも消えたい」と言ったことがありましたが…。
何かしなければ存在価値が無いなんてことは絶対にありません。
どうか消えないで欲しいです。
この世に存在してくれているだけで良いのです。
ただ生きてさえいてくれたら…。
Zさんはお休みを取り始めたばかりですし、この先どうなるかは分かりません。
もしかしたらいつかは復帰されるかもしれませんし、このまま戻って来ないかもしれません。
けれど、Zさんはこれから先どんな道だって選べるはず。
Zさんがその明るい未来を自ら閉ざさないで、「休む」という道を選んでくれたことが、わたしは本当に嬉しいです。
もしかしたらこのまま退職されたり、いつか復帰されるとしても別の部署に移る可能性もあります。
もしそうなれば、わたしは今までのようにZさんとお話出来なくなるでしょう。
それはとても寂しいです。
はっきり言ってめちゃくちゃ寂しいです!
まるで太陽が見えなくなったみたいに、めちゃくちゃ寂しいです!
…でも、それでも良いと思います。
たとえZさんと会えなくなったとしても、Zさんがこの世のどこかで生きてさえいてくれれば、わたしはそれで良いです。
だって大好きですから。
わたしはもしZさんが復帰したら「おかえりなさい!」と笑顔で言うつもりですし、もし復帰されなくてもどこかですれ違ったら「こんにちは」と挨拶するつもりですし、もしZさんが気まずそうにしていたらそっとしておくつもりです。
だって大好きですから。
大事なことなので二度言いましたよ!
きっと世の中、Zさんのように、もうとっくに限界突破しているのにもっともっと頑張ることを強いられている人は沢山いると思います。
逃げてください。
休んでください。
生きてください。
あなたのことを大切に思っていて、あなたがただ生きていてくれるだけで幸せだという人が、きっといると思いますから。
「そんな風に自分のことを好いてくれる人なんてどこにも居ないよ」と思う人もいるかもしれません。
でも、Zさんだって、わたしがこんなにZさんのことを大好きだってことを全く知らないんですよ?
若いわけでもなく美人というわけでもないわたしが告白したらきっとZさんの迷惑になるから言えずにいるんです。
あなたのことを好きな人がこの世のどこにも居ないなんて、本当に言い切れますか?
「異性として」に限らなくても、「家族として」「同僚として」「友達として」「隣人として」、あなたのことを好きな人が居るかもしれませんよ?
そういう人は、あなたがこれ以上無理せずに「休む」という選択をしてくれたら、きっと喜ぶと思います。
中には、「休むのは逃げだ」と思う人もいるでしょう。
しかし、生きるためならどんどん逃げて良い!とわたしは思いますよ。
それに、たとえばスマホだったら、電池残量が0%になったら電源が切れますよね?
それでも「頑張れ」と努力を強いてくる人が居たら、それはその人の方がおかしいのです。
まるで電池残量0%のスマホに「動け」って文句を言っているようなおかしな話ですから。
スマホは充電すれば動き出しますが、人間は機械ではなく生身の体で生きています。
疲れ果ててしまった人間の心身が回復するには、本当に長い時間がかかります。
ちょっと充電出来たと思って無理をするとすぐ電池残量0%になる、そう考えてもらえると良いと思います。
人間が回復するには、とにかく休むしかありません。
ゆっくりしか充電出来ません。
こうなった場合、根性論とか、発想の転換とか、自己啓発は無意味です。
とにかく休養あるのみ。
それでも、これまで頑張ってきたからこそ、「休み方が分からない」という人もいると思います。
そういう場合は、ただ横になって静かに目を閉じるだけでも休まると思いますよ。
頑張り過ぎて、疲れ果てて、何も出来なくなって、布団から出られなくて、そんな自分を責めている…という人が世の中に沢山居ると思います。
休んでいいんですよ。
ゆっくり休んでください。