藤子・F・不二雄『ミノタウロスの皿』
『藤子・F・不二雄SF短編集<PERFECT版>1巻』収録作品。
※注意
以下の文には結末を明かすネタバレがあります!
あらすじ
主人公が乗っていた宇宙船が故障。
幸い、主人公は地球に似た星へ下りることができ、そこで救助のロケットを待ち始めます。
…というところから、この物語は始まります。
水も食料も失ってぐったりしていた主人公は、偶然通りかかったこの星の美少女・ミノアに保護されます。
助けてもらえたのは良かったのですが、どういうわけか、ミノアたちの食卓には草や木の実ばかり。
若い男性である主人公にとってはボリュームに欠ける内容です。
いずれ地球から迎えが来たら美味しいステーキをお腹いっぱい食べられるのだから今は我慢しよう…と主人公は考えます。
主人公は、とても優しく美しいミノアと一緒に過ごすうち、淡い恋心を抱くようになります。
ミノアが料理のことを「エサ」と呼ぶことや、この星の人々の暮らしぶりに、少しずつ違和感を覚えながらも…。
やがて、ミノアや周りの人たちが「ミノアがミノタウロスの大祭の主役に選ばれた」ことを喜び始めました。
主人公はその意味が分からずにポカンとしていました。
しかし、主人公はやがて知ることになります。
この星では牛が人間を飼っていることを。
※備考
正確には、この漫画の中で牛は「ズン類」、人間は「ウス」と呼ばれていますが、分かりにくいのでここでは「牛が人間を飼っている」という表現を使わせていただきます。
人間は、肉用種や労働種などに分類されています。
家畜としてではなく、ペットとして飼われているケースもあるようです。
主人公は知ります。
ミノアが肉用種であることを。
しかも、近いうちに食べられることが決定しているということを。
主人公はミノアのところへ飛んで行って事実確認をしました。
ミノアは怖がるどころか、「最高の栄誉よ、どう? 少しは見直した?」と得意げ。
主人公が「あ、あのね、食べられるってことは、ひょっとすると死ぬんだよ」と汗をかきながら言うと、ミノアは「ひょっとしなくても死ぬわよ。あたりまえじゃない」と顔色ひとつ変えません。
主人公はミノアの腕を強引に引っ張って、「ミノア! ぼくと一緒に地球へ逃げなさい。むかえのロケットがくるんだ」と説得を試みます。
ミノアはなぜ脱走をすすめられているのか不思議で仕方がないといった様子で、また、地球では人間が牛に食べられることは無いという主人公の話にも大変驚き、
「ただ死ぬだけなんて……、なんのために生まれてきたのか、わからないじゃないの。あたしたちの死は、そんなむだなもんじゃないわ。おおぜいの人の舌をたのしませるのよ。とくべつおいしかったら、永久に大祭史に名がのこるのよ」
と、うっとりした表情で語り続けます。
ミノアの話を聞いたショックで呆然とした主人公は、我に返るとすぐ、この星の有力者たちのもとを駆け回り、この風習をやめるよう直談判。
しかし、言葉は通じるのに話は全く通じません。
主人公は疲れ果てながらもミノアにこう尋ねます。
「きみ、ほんとにこわくないの? あす食べられて死んじゃうことがさ、ほんとに怖くないの?」
と。
ミノアは押し黙った後、「…………こわいわ」と返事をしました。
それを聞いた主人公はパッと笑顔になり、「さ、早く逃げよう!」とミノアの手を取ります。
しかし、ミノアはその救いの手を「いや!! 大祭の栄誉をうしなう方がもっとこわいわ」と拒絶。
そうこうしているうちに、ついに大祭の日になってしまいました…。
主人公はこの星で一番偉い総督に4時間半も熱弁をふるいました。
が、総督から返ってきたのは、あなたが何を言いたいのか分からない、祝宴にはあなたの席も用意してある、あなたが食べてくれればミノアも喜ぶ、という言葉…。
主人公は銃を持ち、大祭会場に運ばれていくミノアを救出に向かいます。
主人公は大皿に乗ったミノアに向かって「とびおりろ!あとはひきうける」と悲鳴にも近い叫び声をあげます。
しかし、その声はお祭りの賑やかな音楽に掻き消され、ミノアには届きません。
「お皿のちかくにすわってね。うんと食べなきゃいやよ」
と笑うミノアに、
「助けてといってくれえ!!」
と主人公は叫ぶのですが、
「そうでしょ、おいしそうでしょ」
とミノアは笑って手を振ります。
主人公は銃を落とし、絶望。
やがて地球から救助のロケットがやって来て、ロケットの中で念願のステーキが出されるのですが…、主人公はステーキを頬張りながら涙を流します。
感想
「大好きな人を助けたいのに自分には助ける力が無い」というのは本当に辛いことですよね…。
しかもその大好きな人が「助けて」と言ってくれず、どんなに手を差し伸べようとしてもその手を取ってくれないなんて…。
この作品の主人公の辛い心情を思うと、胸が痛くなります。
また、「生き物の命を頂く」ということの重さを痛いほど思い知りながらも、それでもお腹は空いてしまうことも、食事をとって自分の命を繋ごうとせずにはいられない…ということも、当たり前のことではあるけれども実はひどく残酷だと気づかせてくれる作品です。
わたしはもし自分が主人公の立場だったら、主人公と同じように、思いつく限りの全ての手を尽くしてミノアを救おうとすると思います。
命の恩人の危機ですから。
相手自身が危機だと思っていないことを「危機」と決めつけるのは自分の価値観を相手に押し付けることであり、良くないとは思いますが…、それでも「助けたい」と必死になるでしょう。
…しかし、きっとわたしも主人公と同じように、ミノアを止めることは出来ないだろうなと思います。
命綱をどんなに垂らしても命綱を掴もうとしない人を、「助けて」と言わない人を、どうやったら救うことが出来るのでしょうか?
まして、ミノアの星では、「ミノタウロスの皿」に選ばれることが大変名誉なことであり、ミノアも家族も周りの人たちもみんなで喜び合っている状況。
異邦人たった一人で何が出来るのでしょうか?
もしもミノアを強引に地球へ連れ帰ったとしても、ミノアの星の人々からすれば「自分の星の者をさらわれた」「よその星の者が我々の星のことに口を出すな。内政干渉だ」と戦争の火種になり、もっと多くの命が失われることになるかもしれません。
それに、地球に連れて来られたミノアが「わたしは故郷のみんなに美味しく食べてもらいたかったのに…。あなたはどうしてわたしを無理やり地球に連れて来たの? 元の星へ帰して」と泣くかもしれません。
いずれにしても辛い結果しか見えませんよね…。
もしかしたら、地球で過ごすうちに、「食べられる」以外の幸せを見つけるかもしれませんが…、ミノアに植え付けられた価値観(もしくは洗脳?)は根強そう…。
かといって、ミノアの望み通りに自分も祝宴の席についてミノアを食べるだなんて、とてもじゃないけど出来ません…。
…主人公はきっと、ロケットで出されたステーキ肉にミノアの姿を重ねたと思います。
たとえ、ミノアとは全然関係のない牛の肉だとしても。
どうしても想像してしまったでしょう。
主人公は「食べない」と拒否するのではなく、泣きながらステーキを食べました。
それは、悲しみよりも食欲の方が優ってしまい、お肉の美味しさに結局抗えないというのも勿論あるでしょうが、きっと、ステーキになる前はこのお肉は生き物として生きていたのだと理解しているからこそ、食べ残すことなど出来なかったのでしょう。
命を粗末にすることなど出来ませんから。
願わくば、せめてミノアも食べ残されることなく、綺麗に美味しく全部食べられて、みんなの血となり肉となりますように…。
きっとそれがミノアの望みのはず。
…とは言え、わたしたちが普段食べている生き物たちは、ミノアとは違って、彼ら自身が望んで殺されて食べられているわけではありません。
死ぬ時は怖いし痛いし苦しいし無念なはず。
きっとどの生き物にも「生きたい」「死にたくない」という本能があるのに、人間のエゴで飼育されたり屠殺されたり、場合によっては殺処分されているのです。
わたし自身、お肉やお魚が大好物ですが、もし誰かから「食べることに罪悪感は無いのか?」と問われたら、「罪悪感はある」と答えます。
しかし、かと言って、「じゃあ今から人類全員が菜食主義者になりましょう!」というわけにはいきませんし、それに、野菜だって果物だって文句は言わないけれど実は痛みを感じているような気がします。
「食事」は誰もが当たり前のように行っている行為だけれど、実は「当たり前」じゃないんだよ…ということにこの作品を読むと気付かされます。
わたしたちは誰かの命をいただかないと自分の命を繋げないのですから。
だからせめて、「いただきます」や「ごちそうさまでした」を言うことや、食べきれる量だけお皿に盛る、そういう当たり前のことを心がけていきたいです。