袖振り合うも他生の縁【くらしかるブッディズム】vol.11
【くらしかるブッディズム】は、昔から使われてきた仏教の言葉を、いま再び見つめ直すコーナーです。
第11回は、「袖振り合うも他生の縁」です。
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「袖振り合うも他生の縁」というのは、道端ですれ違った人と服の袖が少し触れ合うような、ほんのささいなことにも、前世のどこかで結ばれた因縁が関係しているものだ、という意味の言葉です。
「他生」というのは、いま現在自分が生きている人生ではない、他の人生のことで、ここでは前世のどこかの時点での生存を指しています。これが「多生」と書かれることもあるようで、この場合は何度も生まれ変わりを繰り返していることを指します。
いずれにしても、「輪廻転生」と「因縁」という、2つの仏教概念が盛り込まれている言葉になります。
こうやって書くとなんだか難しいことのように見えてきますが、「前世のどこかでご縁があったのかも」と言い直してみれば、そんなに抵抗は感じないのではないでしょうか。
私たちは生まれ変わりを信じているのか
みなさんは、前世や来世があると思いますか?
私は、「あると思えるときもあるし、そう思えないときもある」というのが、正直なところです。
近しい人が亡くなって、まだ数年しか経っていないとき、その人が次の生を受けて生まれ変わるなんて、ちょっとイメージしづらいです。亡くなった人の生前のイメージや自分との結びつきが強ければ強いほど、「別の人として生まれて、私の知らない人生を生きている」とは、なかなか思えません。
一方、いま目の前にある不思議なめぐりあわせをうまく説明するために、「自分が感知できないようなところで結ばれたご縁なのかもしれない」という風に考えることはできます。これを、「前世のどこかで結ばれたご縁」と言っても差し支えないでしょう。
結局、前世も来世も目で見て確かめることができないので、状況によって「あると思えるときもあるし、そう思えないときもある」としか、いまのところ言えないなあと思います。
視点を変えて見ると
ここまで、「袖振り合うも他生の縁」という言葉について、「いま袖が触れ合ったのも前世でご縁があったから」という文脈で考えつづけていましたが、ふと気づいたことがあります。これ、「いま袖が触れ合ったことが来世のどこかにつながるご縁になる」と言うこともできますね。
私が今日こんな記事を書いたことも、夕方4時に投稿する計画だったのにうまくいかなくて夜になってしまったことも、そしてこの記事を誰かが読んでくれていることも、遠い未来のご縁につながっていくのかもしれません。
人を幸せにするご縁として、成就されるといいな、と思います。
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今回の記事は以上になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。