文七元結のお久の本音は?
先日、歌舞伎座で文七元結物語を観てきました。
寺島しのぶ・中村獅童主演、山田洋次脚本ということで話題になっているようです。
私は落語のほうで何度もこの噺を聴いており、どのように舞台化されるのかに興味があったので、観に行きました。
観終わった後の帰り道、あれこれと感想を考えていたときにふと、
これは、単なる人情噺ではない。ひとりの女が自力で問題解決する話じゃないか!
なんぞと、思ってしまったのでした。
主人公は左官の長兵衛(中村獅童)。酒や博打で借金まみれ、嫁のお兼(寺島しのぶ)には暴力を振るうろくでなし野郎です。
そんな父親を助けるため、娘のお久(中村玉太郎)は自ら吉原に出向き、身売りして借金の返済に充てるお金を捻出しようとします。
ここまで聞いて、なんて父親思いの孝行娘なの!と感心しつつ続きを聴くのが自然な流れなのですが、今回私はいつもとは違った解釈を試みました。
お久の気持ちになって考えてみたんです。
自分の父親がアル中、ギャンブル依存症、無職のDV男だったら、どうするか?
私なら絶対逃げるな、と思いました。
とはいっても、おそらく当時は、女性が自活するための選択肢がものすごーーく限られていたはず。
ひもじい思いはウンザリ、父親から逃げたい、でも、長屋住まいの若い娘が、ひとりで生きていくのはなかなか難しい。
路頭に迷って飢え死にする可能性だってある。
となったら、とりあえず最低限の衣食住は保証される吉原で遊女になると考えたくなる気持ちも、理解できるのです。
こんな父親と暮らすなら、遊女になってどこぞの旦那に身請けされたほうがまし、と思ったのではないか。
身売りして得たお金を、手切れ金として父親に渡す。
母親(継母ですが仲良し)には申し訳ないけれど、借金さえ返せれば、私がいなくても何とかなるよね、という思いもあったはず。
おとっつぁんのため、というのは、ことを丸く収めるための、賢いお久のタテマエであって、お久は父親のためでなく、自分のために身売りしようと決心したに違いない。
彼女は自分でしっかりと考えて行動し、問題解決する、強い女なのです。
お久万歳!
どうでしょう、私の解釈。ありえなくもないですよね?
といってもフィクションなので、正解があるわけでもなんでもありません。
噺の筋に描かれていない空白を妄想して、勝手な解釈を加えてみる。
古典落語はこういう楽しみかたもできてしまいます。