『ことばの歳時記』 – 日めくり文庫本【5月】
【5月7日】
山時鳥 その二
連俳では、春の花、夏の時鳥、秋の月、冬の雪が、それぞれ四季を代表する景物であって、もっとも重い季題とされた。だがこれは、和歌以来の古い伝統に立っている。時鳥の初音を聞き洩らさぬように、夜通し起きているというような歌がたくさんあり、そういう生活上の風習があったのである(念のためにいえば、初音という言葉は、普通時鳥と鶯についてだけ言う。待ちわびる気持から初音というのである)。
時鳥が候鳥だという知識は、昔の人にはなかったから、山に籠っていたのが四、五月ごろ出て来るのだと考えていた。だから「山ほととぎす」という。雁に「遠つ人」という枕詞があるように、「もとつ人、時鳥」といった。古なじみの人であり、それがたまさかに訪れて来るという感じを籠めている。ことに卯月朔日になると、昔の人は時鳥の一声を待つ心になったようである。ただし田植と結びついて、五月と時鳥との連想も強かった。
時鳥鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな (古今集)
実際にはもっと早くから渡来して鳴いている。時鳥と五月との結びつきは、田植に関係している。
信濃なるすがの荒野にほととぎす鳴く声きけば時過ぎにけり (万葉集、巻十四)
この歌は、万葉時代にどのように理解されていたかはともかくとして、もと時鳥の声を聞いたら田を植えなければならないという農候に関係した歌らしい。時鳥の声を聞いたら夏の到来を感じるようになったのは後世で、より直接には、田植時の到来を感じていたのであり、時鳥は田植を督促するために鳴いているのだと考えた。その声を「しでのたをさ」と聞いたことは、
いくばくの田を作ればか時鳥しでの田長を朝な朝な呼ぶ (古今集、誹諧歌)
の歌が証明する。「しで」が何であるかは不明で、多分山の地名だろうが、後世は「死出」と感じて、暗い方に連想した。「田長(たをさ)」は後の田主・太郎次であり、大田植の監督者の位置にある古老である。その田長に、田植を早くせよと促すように呼び立てて行くと聞いたのである。このような農民の心構えが、時鳥の一声を待ちこがれるという風流を導き出した、生活的基礎である。
——山本健吉『ことばの歳時記』(角川文庫,2016年)115 – 116ページ