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『ことばの歳時記』 – 日めくり文庫本【8月】

【8月12日】

真夏日

 今年の梅雨は、思いがけなく早く上って、連日のように猛暑がつづく。そして気象通報に、「真夏日」という声を聞くことも多くなった。これは気温三十度を超える日を指すことに、気象台で決めた言葉だという。
 真夏日というと、私はいつも斎藤茂吉の名歌を思い出す。

  真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも

『あらたま』にあって、昔読んだときから、私の記憶に沁みついていた。代々木が原かどこかで詠んだ歌かと、漠然と想像していたが、最近出た佐藤佐太郎氏の『茂吉秀歌』によると、茂吉が勤務していた巣鴨病院の構内だろうという。それは何処でもよいが、真夏の太陽の照りきわまったもと、耳を澄ませば、葉のそよぐ音がきこえるというのだ。何か、この世の景色ではないかのように、静寂のきわみの世界である。
 そして、このような歌の場合、「真夏日」とは、少しもいやな連想を伴わない。それを嫌悪すべき、不快感を伴う言葉にしてしまったのが、気象庁のとり決めである。せっかく茂吉のような詩人が、日常用語を洗練させ、芭蕉のいう「俗談平話を正し」て、美しい詩語としてうち出したものを、学者ってしようのないものだ。毎日不快の象徴として「真夏日」などと放送されていると、日本人の耳にこれが如何に嫌悪すべき言葉として定着してしまうことか。
「真夏日」という俳句は、まだお目にかからない。これが歳時記で、気温三十度以上の日など解説されるようになったら、もうおしまいだ。「真夏」と使った俳句には、

  乱心のごとき真夏の蝶を見よ 阿波野青畝
  新しき色水塊と真夏空 飯田龍太

——山本健吉『ことばの歳時記』(角川文庫,2016年)181 – 183ページ


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