見出し画像

『ホモ・ルーデンス』 – 日めくり文庫本【12月】

【12月7日】

 ポトラッチにおいて優越性はただ単純に財物を贈ることによってのみ示されるわけではない。それはもっと驚くべき方法で、つまり、彼自身の所有物を破壊することによっても示される。財物を手放すこともできうることをこれ見よがしに見せつけて優越を誇示するのだ。また、これらの財物の破壊は劇的な儀式や誇り高き挑戦をともなって行われる。この行為の形式は対抗競技の形をとる。ひとりの長が銅の壺を割り、毛布の山を焼き、カヌーを毀せば、相手側は少なくとも同じものを同数だけ、さらに望むらくはもっと価値あるものを殺してみせる義務を負わされる。彼らは競争相手に挑戦のしるしとして破片を送ったり、それを名誉のしるしとして見せびらかしたりする。クワキュトル族と血縁関係にあるトリンキット族(Tlinkit)について語られるところによれば、ある長はこれに復讐するため、さらに多くの自分の奴隷を殺さねばならない、と言われる。
 こうしたとどまるところを知らない気前のよさの競争は自分の財宝を向こう見ずに平然と破壊することで絶頂に達するが、こうしたことの痕跡は多かれ少なかれ地上のいたるところに見いだされる。マルセル・モース(Marcel Mauss)はポトラッチと完全に一致する慣習がメラネシア人の間にも存在することを指摘した。『贈与論』の中で彼はギリシア、ローマ、および古代ゲルマンの諸文化の中に同じような慣習のあったことを証明している。グラネは古代中国に贈り物の競争と並んで破壊の競争もあることを見つけ出した。イスラム以前のアラビア地方でこれと同じことが特殊な名で呼ばれて知られている。その名は形式化されたその性格をよく示しているが、モアーカラ(mόāqara)といわれ、動詞の形から派生した行動をしめす名詞で、古い辞書はこの言葉についてその民俗学的基盤は全く知るよしもないままに、「名誉にかけてラクダの足を切って争うこと」と説明している。ヘルトによって取り上げられたのと同じテーマはすでにモースによって多かれ少なかれ、次のような言葉で打ち出されている。「『マハーバーラタ』はある巨大なポトラッチの歴史である」。

——ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(講談社学術文庫,2018年)113 – 114ページ


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集