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『ウンベルト・エーコの文体練習[完全版]』 – 日めくり文庫本【1月】
【1月5日】
野蛮なる民
ダンテにとって、わたしの故郷アレッサンドリアは愛しくてたまらないというわけではなかったらしい。『俗語詩論』のなかで、イタリア半島のさまざまな方言を分類し論評を加えながら、故郷の人々の発する「毳立った(野蛮な)」音は、けっしてイタリアの方言ではないと断定したうえで、かろうじて言語表現として渋々みとめているのだとにおわせている。結構、わたしたちは野蛮人だ。それもまた神の思し召しなのだ。
わたしたちはイタリア人(ラテン俗語を話す民)でもなければ、ケルト人でもない。粗暴で毛深いリグリア部族の末裔なのだ。だから一八五八年、カルロ・アヴァッレは、『ピエモンテ史』の冒頭で、ウェルギリウスが古代ローマ以前のイタリアの民について語った『アエネイス』第九巻を回想したのである。
ならばこの地にいかなる民がいると思っていたのか?
あの芳しいアトレイデスの民か、それとも言葉巧みなオデュッセウスか?
目の前にいるのは、粗暴の血をひく民なのだ。
わが子ども等は生まれ落ちたその瞬間から、凍てつく川に身を躍らせる。
身を切るような波こそが我等の冷酷さを鍛えるのだ。
やがて幾つも山々や森をぬけ
子ども等は夜も昼もなく先へと進み……
「聖バウドリーノの奇蹟」より
——ウンベルト・エーコ『ウンベルト・エーコの文体練習[完全版]』(河出文庫,2019年)231 – 232ページ
この「聖バウドリーノの奇蹟」は、エーコの故郷にある地方銀行が発行した『アレッサンドリア経済の諸構造と事件』の序文として発表されたものらしいです。エーコ自身の語りとも思えるこのテキストが、嘘や捏造によって編み出される壮大な「虚構」を描いた『バウドリーノ』と、どこかでつながっていると思うと面白い。
/三郎左