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『ことばの歳時記』 – 日めくり文庫本【11月】

【11月5日】

あきくれ

 秋の暮という言葉について、大岡昇平氏がつぢのようなことを書いていた。いま、手もとに書物が見つからないので、記憶をたどって書く。
 氏がいつか、三好達治氏と、芭蕉の、

  この道や行く人なしに秋の暮

 の句について論じ合ったとき、どうしても意見が食い違って、激論になった。論じているうちに、大岡氏が秋の暮を秋の夕暮の意味に取っていることが、三好氏に分った。そして氏の「秋の暮は暮秋のことだよ」と言った一語で、さしもの激論も、大岡氏の敗北になって終った、というのである。
 このことを俳人が聞いたら、ケゲンな顔をするかも知れない。なぜなら大方の俳人は、秋の暮を秋の夕暮と決めていて、あえて疑おうとしないからである。
 この論争では、大岡氏が自分の「無学」を暴露して、ボヤいたりするひまもなく、尻尾をまいて引き下った、ということになっているが、この場合、三好氏より大岡氏の方が、少なくとも俳人たちの常識と合致していたことは、疑いない。三好氏の断定も、べつに学問的に根拠のあることではなく、詩人の直感で、秋の暮を暮秋と受取っていたのであろう。ボードレールの散文しの一節、「晩秋の日々の、何と心に滲みることであろう。ああ、せつないほど身にしみる」が、心のなかにあったのかも知れない。だがともかく、俳人たちの定説に反して、秋の暮という言葉から暮秋のイメージを受取る詩人が、今日存在することは、記憶してよい。
 秋の暮という言葉は、要するに雅語であって、日常語ではない。日常語の意味の推移は、生活的な根拠があって自然にそうなるのであるが、雅語にはそのような生活的な根拠がない。詩人、文人たちのその時代々々の語感、あるいは誤用から、移ってゆく。
 歳時記類で秋の夕暮の意味に決めてしまったのは、許六以来のようだ。俳人たちの特殊な用語によると、大暮(時節の暮)でなく、小暮(日の暮)だということになる。「春のくれに対して、秋の暮を暮秋と心得たる作者多し。秋の暮は古来秋の夕間暮と云ふ事にて、中秋の部には入りたり」(篇突)と、許六は言っている。中秋といったのは、三秋にわたるものを秋を代表する中秋の部に入れたということで、実は三秋である。春の暮は暮春であって春の夕暮でなく、秋の暮は秋の夕暮であって暮秋でない、というひどく人為的な区別は、どういう根拠があって許六が言ったのか分からない。

——山本健吉『ことばの歳時記』(角川文庫,2016年)256 – 258ページ


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