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『ことばの歳時記』 – 日めくり文庫本【9月】

【9月3日】

野分

 今どき、野分などというと、なかなか気取ってきこえる。台風と言えば、そのものズバリだからである。
 のわき[#「のわき」に傍点]とものわけ[#「のわけ」に傍点]とも言う。今の台風より、やや広い意味を持つだろう。台風が通過したところだけでなく、それた地方でも、その余波をこうむって強い風が吹くから、それもやはり野分である。
 昔の人は台風を前以て観測することなどできなかったから、秋の突風と感じたであろう。もっとも船乗りや漁師は、台風の性質について、なかなかこまかい観察をしていた。「やまじ」というのは、台風あるいは台風期の局地的な低気圧に伴う南寄りの暴風だが、「やまじがわし」などというのは、台風の接近とともに風向きが時計まわりに回転することだ。また長崎県では、「おっしゃな」という名の風があるが、「押しあなじ」つまりあなじの押しかえしという意味で、風向きは東・南から南・西とまわっておさまり、風の王として、昔から恐れられている。
 野分というのは、どういう意味だろう。野草を吹き分けて吹く意味だと言っているが、も一つなにか落ちつかない。野分の風ともいう。源氏物語に野分の巻があり、枕草子にも野分のまた日(野分あと)の名描写があって、野分というのは当時の標準語だった。だが、同じく当時の標準語だった東風(こち)が、おそらく瀬戸内海沿岸の漁民・船乗りたちの言葉を取り入れたものであったのと同じように、野分にもその前に、常民たちの生活語としての前時代がなかっただろうか。それを断定することはできないが、柳田國男翁が、今も使われる「わいだ」という風の名から、次のように推測しているのは興味を惹く。
 静岡県富士郡にアイザ、紀州日高郡にアイデ、同じくワイタカゼ、讃岐のワイダ、伊予・土佐のワイタ、日向細島にウヱダ……などの言葉を比較対照してみて、これらに共通なのは、外海からくる風で、主として秋の稲作ごろの、ありがたくない強風という、共通項がある。翁ははじめよ、寄り物の多いというアユという風のもとの意味を考え、アイ(アユ)—アイザ—ワイダという関係にさぐりを入れられたが、べつにワイダがアイザを派生せしめたとも考えられるとした。方言のワイダと、上代の雅語のノワキとのつながりに、気づかれたからである。

——山本健吉『ことばの歳時記』(角川文庫,2016年)205 – 206ページ


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