『ポップ中毒者の手記2(その後の約5年分)』 – 日めくり文庫本【8月】
【8月8日】
とは言え、「自由な思想、そして、その実践」を行った者を〝無頼〟と呼ぶならば、植草甚一ほど〝無頼〟な生き方をした男はいないだろう。
1908年(明治41年!)生まれだから、バロウズより6つ上。35年から13年間、映画会社に勤務し、パンフレットなどを作る。48年からフリーとなり、映画やミステリーを中心とした海外文学についての原稿を書く。57年、49歳になってからモダン・ジャズに目覚め、聴き倒し、67年、晶文社から初の単行本『ジャズの前衛と黒人たち』が出る。この時期からJJ氏のエッセイのテーマはニュー・ロックから雑貨にまで及ぶ。植草さんの仙人っぽいルックスとファンキーなファッションと自分が好きなことしかない生き方そのものに憧れる若者達(含む筆者)が続出。カルチャー・ヒーローとなる。76年、『植草甚一スクラップ』(全41巻)の刊行開始。79年、天国へ旅立つ。
今、JJ氏が遺した膨大な原稿を再読して気付くことは、まず、日本のジャーナリズムがほとんど注目していない時点で、ボリス・ヴィアンの『墓に唾をかけろ』やコンラッド・ルックスの映画『チャパカ』などにシビれてしまう、植草さんの先見の明である。しかも、ただ早いだけではない。現在でも有効な視点で書かれているのが素晴らしいのだ。それは世間の評価と関係なく、独自の嗅覚で1ドル=360円の頃から、ビデオもCD量販店もインターネットもない時代に、輸入盤や洋書や洋雑誌を買いまくった成果ゆえであろう。また、はなから映画や音楽や文学そのものにはエッセイは太刀打ちできないという諦めの上で、そのポップ・カルチャーが生まれた背景やそれを楽しんでいるときの気分の変化の描写まで取り込み、いかにリアルに紹介していくか、という工夫がなされていることである。結果、現物そのものに触れるより植草さんの文章のほうが面白いことが多々あったのだ。
「2001 植草甚一 植草文庫ができなかった理由」より
——川勝正幸『ポップ中毒者の手記2(その後の約5年分)』(河出文庫,2013年)347 – 348ページ