『ロリータ』 – 日めくり文庫本【4月】
【4月22日】
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アナベルは、筆者と同じで、血筋が混ざっていた。彼女の場合、半分英国人で半分オランダ人である。記憶の中にある彼女の顔立ちは、数年前の、私がロリータを知る以前に比べると、今はずいぶんぼやけている。視覚的な記憶には二種類ある。目を見開いて、心の実験室でイメージをみごとに再現する場合の記憶(そして私はアナベルを、「蜂蜜色の肌」とか「細い腕」とか「茶色のショートヘア」とか「長い睫毛」とか「大きくてきらきらした口」といった、一般的用語で思い浮かべてしまう)、それと、目を閉じると瞼(まぶた)の暗い内側にたちどころに浮かんでくるのが、愛する人の顔の客観的でまったく視覚的な復元であり、自然色で描いた小さな亡霊である場合の記憶だ(そして私はロリータをそんなふうに見る)。
そういうわけで、アナベルを描写するに際しては、数カ月年下の可愛らしい子だったといささかすまして述べるだけにとどめておきたい。彼女の両親は私の伯母の古くからの友人で、伯母と同じくらいに仰々しかった。一家はホテル・ミラーナから遠くないところの別荘を借りていた。禿(はげ)で褐色のリー氏と、太って白粉(おしろい)をまぶしたリー夫人(旧姓ヴァネッサ・ヴァン・ネス)である。私は二人とも大嫌いだった。最初のうち、アナベルと私はあたりさわりのない話をした。彼女は細かい砂を手ですくってはまた指のあいだから流すのだった。私たちの頭脳は、あの時代のあの階級の、思春期前の知的なヨーロッパ人らしくできていて、人間の住む世界の複雑性や、競技テニス、無限、唯我論といったものに関心があったからといって、それが天才の証(あかし)だとは言えないだろう。やわらかくていたいけな赤ん坊の動物を見ていると、私たちはどちらも激しい痛みを覚えた。彼女は飢餓に苦しむアジアの国で看護婦をするのが夢だった。そして私の夢は有名なスパイになることだった。
——ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(新潮文庫,2006年)21 – 22ページ
ヨーロッパからアメリカに亡命したエドガー・H・ハンバートが、“目を見開いて”見ていたものは何だっんでしょうかね。
エドガー・A・ポーの最後の詩「アナベル・リー」であるならば、本作が“目を閉じる”ことで見えてくるものとは?
/三郎左