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『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』 – 日めくり文庫本【7月】

【7月17日】

メロディ・ラインという輪郭線

 当時——少なくともこの日は、としますが、マイルス以外のほかのトランペッターは「マイクを効果的に使って演奏する」ということの意味がまだわからず、また、そのために必要な技術も身につけてはいなかったのだろうと思います。屋外フェスの老舗であるニューポートですが、このときはまだ第二回で、ノウハウが掴めていないという事情もあってか、この日のPAシステムは非常にコンディションが悪く、トランペットをマイクにぴったりくっつけて演奏したマイルスの音だけが客の耳元まできれいに響き、オン・マイクの——マイクに押しつけるぐらいにぴったり楽器のベルをくっつけているわけですから、「オン」というより「クロース・マイク」もしくは「スティック・マイク」と称すべきかもしれません——まるで聴き手のひとりひとりの耳元で鳴らされているかのような、デリケートかつ輪郭線のはっきりした旋律によって、マイルスは、〝実際以上にクリーンに復帰した〟イメージを聴衆に与えたのではないでしょうか。さらに言えば、ビ・バップ以来のすべてのジャズが共有していた。〝輪郭線を発生させる欲望〟を、テクノロジーを介在させることで完全に充足させたのだ、と我々は解釈しています。
 あえてこの音源は聴かないまま、この解釈を拡大していきます。ビ・バップの幾何学的なユニゾンのメロディ・ラインが廃れたのち、ジャズ界がなにを求めたかを、当時のジャズファンに移入して考えてみましょう。そもそもジャズにかぎらず、音楽の諸要素のなかで、現代ではメロディだけがほとんど特権的なほどに、人の所有欲をストレートに喚起します。たとえば「盗作疑惑」、「楽曲のオリジナリティ」などの同時代的問題において、人々の注視が、リズムやハーモニーではなく、メロディ・ラインに集中していることを思い出していただければ瞭然でしょう。これについては、口で歌って完全に再現できる/個人が所有できる音楽要素がメロディ・ライン=単線だけであるということ、さらに「線」という概念に着目すれば、ヨーロッパにおいて国境という「線」こそが「領土」と「侵犯」という概念を形成する最重要ファクターであること、などなど、さまざまな話題を口寄せすることが可能ですが、ここではとりあえずさておきます。
 それよりも、マイルスがひとりで吹く、マイクの威力を最大限に活用したヴァーカリーなメロディが、「この時点で聴衆が抱えていた〝メロディ所有欲〟に対して、図らずも過剰に応えてしまった」という構図を確認してください。マイルスは死ぬ直前まで「なんであの演奏が認められたのかいまだにわからない」と語っており、これはアンビヴァレンス・マイルスの、ウソやはぐらかしではないほうの発言でしょう。まさに値千金のマイルス調です。

「第3章 メジャー・デビュー、帝王の完成(1956 – 1965)
 第5講 メジャー・デビューとオリジナル・クインテット」より

——菊地成孔、大谷能生『M/D 上 マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』(河出文庫,2011年)229 – 231ページ


「この日」とは、一九五五年七月一七日のこと。第二回ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルにおいて、二九歳のマイルス・デイヴィスはジャム・セッションに参加。セロニアス・モンクとともに「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を演奏し、彼のミュート・プレイは伝説的な名演と呼ばれるようになります。
「伝説」は何が起きたかではなく、何がもたらされたが大切なんだとわかります。

/三郎左

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