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『ある映画の物語』 – 日めくり文庫本【2月】
【2月6日】
フェラン監督は、その足でオープンセットに向かう。脳裏にはいろいろな考えが渦巻いている。フェラン監督のモノローグが入る。
「映画の撮影というのは、いわば西部の駅馬車の旅に似ている。美しい夢にあふれた旅を期待して出発するが、すぐ期待は失せ、目的地に到着できるかどうかさえ心配になってくる……」
製作部のラジョワがフェラン監督の前に現われ、モノローグは中断される。
「おはようございます。失礼ですが……私を覚えてらっしゃいますか。新任の製作進行のラジョワです」
「ああ、そうだったね」
「パメラの交通事故のシーンに使う車のことなんですが……」
と言って、ラジョワはフェラン監督をみちびき、二台のコンバーティブルを見せる。一台は赤、もう一台は白の車体である。
「この二台のうち、どちらがよろしいでしょうか」
「この二台か」
「白のほうをブルーに塗り替えられるといいんだが、できるかね」
「それはできますが、二十万フランかかりますよ」
「二十万も? これをブルーに塗り替えるだけで? やめよう、そのままでいい。それにしても白すぎるな。(その向こうにあるもう一台の車を見て)あれはどうなんだ、あのブルーの車は?」
「あれはダメですよ。助監督のジャン=フランソワの車です」
「ジャン=フランソワの? それなら、だいじょうぶだ。承諾してくれるだろう」
「たのんでみましょう」
「そうしてくれ」
製作進行のラジョワに車の件をまかせて、フェラン監督はセットに向かう。ふたたびモノローグが入る。
「映画監督とは何か。映画監督というのは、絶え間なく質問を浴びせられる存在だ。どんなことでも、みんな、監督に質問してくる。ときには答えることもある。だが、いつでも答えられるわけではない」
シナリオ『アメリカの夜』「映画監督とは何か」より
——フランソワ・トリュフォー『ある映画の物語』(草思社文庫,2020年)285 – 286ページ
あらゆる創作に携わる人による自らの創作についての「自己言及」は、好物のひとつです。
このシーンは、映画監督(フランソワ・トリュフォー自身)による、映画監督役(映画『アメリカの夜』内のフェラン監督)による「映画監督」論で、一流の人の語る内容が簡潔でわかりやすい。
/三郎左