#17 ラジオディレクター・三浦宏之「“半農半ラジ”の現在地」(2020.5.1&8)
ものすごく溜まってしまった「議事録」を一気に片付けている盆休み。ああ、もう放送から3ヶ月以上たってる、、、「この頃はコロナのせいで予定していた会議相手が飛んで大変だったな~」となつかしく思い出したりしてますが、まだ今もコロナ中というワケで。嗚呼、2020年。
ということで、会議相手が来られないから――というわけでもなく、今回の会議相手はウチ番組のディレクター・三浦宏之氏。これ、身内で済ませようとしたワケではなく、前からこの人には興味あったんです。あ、この人ね。
まあ、どんな人かプロフィールを見てください。
1973年生まれ、茨城県育ち。法政大学文学部在学中の1996年よりラジオ番組制作会社に勤務。2006年以降はJ-WAVE子会社のJ-WAVE MUSICに所属。2013年、山口県周防大島町へ移住し、耕作放棄地を借り受け「不耕起農法」による稲作ほか農作物を無農薬・無化学肥料で栽培する。同時に「オオシマアコースティック」名義で販売を手掛ける。2015年よりエフエム山口にてラジオディレクターとしての活動を再開し、現在「半農半ラジオ」を体現する。
六本木ヒルズのJ-WAVEから周防大島ですよ。ちなみに周防大島ってココな。
日本地図で見ると、こうな。
そして「オオシマオコースティック」、コレな。
まあ、平たく言えば「ラジオディレクター」から「専業農家」になり、そこから「兼業農家」になったという三浦さん。まずはなんでYOUはラジオDから農家へ? そして六本木から周防大島へ?
そもそも自分でモノを作って食べたい欲求というか、自給自足がしたかったんです。「自分ひとりくらい今の経済の輪から抜け出しても大丈夫だろう」というか(笑)。自給自足することで消費をやめると、経済の輪から抜け出るじゃないですか。そういうのっていいなって思ってました
いいなぁ、「自分ひとりくらい経済の輪から抜け出しても大丈夫だろう」というコッソリ感。移住したのが2013年ということを考えると、東日本大震災以降のパラダイムシフトが想像されます。
周防大島にはほぼ農業の知識がないまま移住しました。知り合いに勧めてもらった福岡正信さんの『自然農法 わら一本の革命』(春秋社)って本を見てはじめて、あとは地元でできた友達に教えてもらって。畑をやってると近所の人が寄って来て、いろいろ手ほどきしてくれてるんです
茨城で生まれ育ち ⇒ 18歳から東京で大学生&仕事して ⇒ 30歳から未知の山口でシロウト農業開始。なかなかできるもんじゃありませんよ。それがなにゆえラジオ復帰?
周防大島には地域おこし協力隊として入って、3年間はお給料もらいながら活動して。それは3年後に向けて、自分で収入を得る方法を準備しておきなさいよってことなんです。で、やっぱり農業だけじゃ厳しくて。2年すぎた頃から地元の年寄りが、仕事の募集があるたび「三浦くん、これどう?」ってしつこく勧めてくるようになるんです。僕は「農業だけでなんとかする」と思ってたから断ってたけど、年寄りに言わせると「だってお金なくなったら、おまえは島から出て行くだろ? おまえが出て行くのはさみしい」って。それで確実な現金収入を得る方法を探すようになったんです
雲をつかむようなことを考えてる夢想家の三浦さんを心配する現実肌の島のオヤジたち……めちゃくちゃ想像つくな、その風景。そんなとき思い出したのが前職で携わっていたラジオでした。
ラジオはやめても好きでずっと聴いてて。すごくいい選曲が流れたとき「自分だったらここで何をかけたかな?」ってフト考えたりしたんです
あー、いい笑顔だ。ということで晴れて三浦さんは「半農半X(X=ラジオ)」を生業とすることになったのでした。
半農半ラジの生活となったものの、当初は「ここに来た意味が……」という意地と抵抗からラジオは1日限定。しかし次第にそれが増え、現在は半々の生活だとか。文字通りの「半農半ラジ」ライフ。
今は農業もほどほど、ラジオもほどほどで、そのバランスがちょうどいいというか。言い方は悪いけど、どっちも逃げ場所でどっちも安全地帯になってるんです。ラジオに疲れると「明日百姓あるし」って思うし、百姓に疲れると「明日ラジオあるし」って思う。両方を行き来することで肉体的にも精神的にもバランスとってるところはありますね
2足のわらじを履くことの幸福もあれば、悩みも同時にあるようで。
サラリーマンやりながら劇作家をされている「半劇半サラ(リーマン)」の南出謙吾さんが番組に来られたとき(ブンクリ#13「“半劇半サラ”の居心地」。下記参照)、「自分はこのままじゃダメだ!」って思わされたんです。僕は農業もラジオも中途半端だけど、南出さんは演劇もサラリーマンも全力でやられてて。それを機に「来た仕事は全部受けよう!」って気持ちになって、春からラジオの仕事が増えまして……
ということで、なんだか最近は忙しそうなウチのD。まあ、忙しいのは農業とラジオ以外にもワケがあって――。
どちらも全力でやることに加え、僕は夫であること、父親であることも仕事の一部だと思ってるんです。いまこういう時勢(コロナ禍)だから子供がずっと家にいて、「サッカーしよう!」って言ってくるんですよ。本当は畑仕事しなきゃいけないのに、サッカーしちゃって……はたから見たら遊んでるようにしか見えないんです(笑)
そんな三浦さんの今の田んぼ。これがもうひとつの三浦さんの職場。
自分が育てたお米を買って食べてくださる方に対しては感謝しかなくて。食べてる姿を想像するだけで涙が出るくらい嬉しいです。ラジオも東京にいるときより、聴いてくれてる人の姿が想像しやすくなりました。それはSNSで反応が見やすくなったこともあるけど、周防大島での自分の生活と、ひとりひとりのリスナーの生活が近づいたところもあるんでしょうね。東京では一日中放送局にいて、生活感がない中でラジオを作ってましたから。それが地に足の着いた暮らしをするようになって、その生活感をラジオに持ち込めてる気がします
農の喜びあれば、ラジの喜びもあり。農ラジオ、農ライフ。さてわれらが「文化系クリエイター会議」、どんな番組を目指しましょう?
昔に比べればハガキからFAX、Eメール、ツイッターと、どんどんリスナーとの距離は縮まってるけど、根本にあるものは変わらないと思うんです。どんなに技術が進歩しても、ラジオは結局しゃべってる人と聞いてる人の気持ちのつながりでしかない。そこに誠実に応えることを地道に続けていくってことですね
ということで、こんな変わり者たちで作ってます「文化系クリエイター会議」、引き続きご贔屓のほどよろしくお願いいたします。あ、このときから「SDK(ソーシャル・ディスタンス・肩組み)」だ!
2020.4.21@HFM