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へたっぴ写真や駄文を小倉百人一首のせいにしてみる

世界史の古典的な学説に「17世紀危機論」というものがあります。17世紀は天候不順による農作物の不作から、戦争や経済の行き詰まりの時代だったというものです。戦争や景気の後退は事象として後世の人間もわかることですが、何百年も前の天候不順がなぜわかったかというと、木の年輪を調べてみたら、どうもそこだけ年輪の間隔が狭い=木の成長度合いが芳しくない=冷涼な気候だったことがわかったのですね。歴史学の進歩に生物学の知見が役にたったということになります。

スマホで簡単に写真が撮れて投稿できるようになったので、さまざまな問題が引き起こされます。事件事故に際して救助をせずに写真を撮る、料理の写真を撮るのに夢中で冷めちゃう、混んでるのに気づかない、鉄道の運行に支障を来す……などなど。写真の質も玉石混交。私も記事中に自分の撮った写真をよく使いますが、下手くそっぷりに落涙を禁じ得ません。

昨晩、いつ撮ったのかも覚えてない写真
(飲み過ぎたせい)

『小倉百人一首』の選者、藤原定家は『明月記』という日記を残していますが、その中には当時の多くの天文現象が記録されています(こちらに簡潔にまとめられています)。これが後世の研究者にとって一級の資料となったのですね。

写真だけでなく絵でもいいですし、文章(の形をしていなくても、レシートとかメモとかでもいいんですが)もですが(人を傷つけるようなもの、人に迷惑をかけるのはもってのほかですが)、へたっぴ写真であっても駄文であっても、「後世への記録」としては何らかの意味を持つ可能性はあります。木の年輪が歴史学を動かしたように。

そんな気持ちで日々、このnoteに駄文を綴っています(写真もまたしかり)。どっかのだれかに届けば、それが今なのか何百年後なのかはいつでもいいですが、それでいいやと。

冒頭の「17世紀危機論」は、大学時代の専門だった西洋史の講義で学んだものですが、もし金銭的な余裕が生まれたなら、定年退職後は言語学を学んでみたいと思っています。記録されたものを利用する学問は(一応、既に)学んだので、今度は記録媒体の最たるものが人間にとってどんな意味を持つのか、そこを掘り下げてみたいのです。金銭的余裕って部分が一番のネックではあるのですが……(また落涙)


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