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走り雨に烟る香港〜ウォン・カーウァイ監督『花様年華』(2000)の造形・交錯・本能

 香港を初めて訪れたのは、1984年。社会人になって、少し経ってからである。福岡空港から飛んだのだった。

 亡父は、船関係の仕事をしていたので、当方が生まれる前の1950年代に、英国領香港を訪れている。我が家のアルバムには、陸に上がった長身の若き父が、雑然とした通りを闊歩する写真が数枚あった。

 その不肖の息子が初めて見た香港は、四半世紀後の姿。案外、年数は経っていない。1984年の雑踏は、1950年代とあまり変わらなかったはずと思い描く。もちろん、まだ英国領である。

 映画『花様年華』(2000)は、わが父の訪問直後の頃の時代設定。1960年代初頭である。といっても、ウォン・カーウァイ監督はその時代の人ではないので、映像は、時代考証、推測、想像、そして思い入れによる造形の産物である。

 最初に見たのは2005年頃だと思う。公開時にはあまり興味を引かなかった。評判を知って、確かビデオかDVDをレンタル店で借りた。その後、クライテリオン盤の高画質DVDを購入。リバイバル上映に出かけたこともある。シアターは六本木だった。劇場視聴は、2012年頃のことである。

 今、ときどき見返すのはブルーレイ盤。耽美的映像が持ち味なので、画質は大切なのだ。

 近々また見るつもりなので、思い出すままに書いている。

 これは、既婚男女の愛を描いている。その背景が、失われゆく香港の情景とナット・キング・コールのベルベット・ヴォイス。

 揺れ動く二人を守る自由香港。ほとんどが造形美の世界である。もろく、はかなげな人工的空間に、熱い吐息を吹き込んだのがウォン・カーウァイである。

 この作品に多分に影響されて、2007年に香港を訪れた。その後、2012年にも。2回とも返還後ということになる。

 2007年の香港は活気に満ちていた。道路やビル建設の工事の騒音が、ホテルの一室まで鳴り響いていた。マギー・チャンとトニー・レオンが食事を摂ったレストランは、ちょっとした観光名所になっていて、当方マレー風カレーなどを食した。

 『恋する惑星』(1994)のロケ地で有名なヒルサイド・エスカレーターに沿って、斜面に建物がビッシリはり付いていた。その一画、蘭桂坊(ランカイフォン)なども夜半談笑が絶えない飲食店街、よい雰囲気だった。

 2007年には、1984年の香港はある程度、温存されていたのである。

 1984年時点では、今より欧米人が多かったと思う。映画『慕情』(1955)や『燃えよドラゴン』(1973)のエキゾチズムをまだ感じさせた。宿泊したホテルのバーで、よそ行きドレスの白い肌の美少女が、父親らしき紳士と深夜、食事をとっていたのが心に残る。英国人だったのだろう。

 1997年の返還まで、13年が残されていた。タイガーバームガーデンなどという、異色の観光スポットも。これは、わが父も訪れた場所だ。

 香港返還と言えば、それを題材にした好きな映画に『チャイニーズ・ボックス』がある。これにも、マギー・チャンが出ている。主役は、ジェレミー・アイアンズ。コン・リーの貫禄十分の演技が印象的。植民地香港の終焉を描く1997年の佳作。

 ピーター・チャン監督『ラヴソング』(1996)は、返還直前の制作。これにもマギー・チャンが。返還を目前にした香港に、中国本土から流れ込んだ若者をレオン・ライが好演している。

 『花様年華』には、ジャック・ドゥミ監督『シェルブールの雨傘』(1964)が重なる。特に、都市や港町という小宇宙にあって、人と人が交錯し、それぞれの方向に別れゆくストーリー、そして愛の顛末が似ている。

 また、雨そのものが、映像のポイントになっているところも。『シェルブール〜』の冒頭は、雨粒が天から落ちるシーン。『花様年華』には、驟雨のシーンがある。走り雨に、マギー・チャンとトニー・レオンが雨宿りをする。この場面を繰り返し見てきた。

 『シェルブール〜』と違うのは、香港の二人にそれぞれ配偶者があるところ。男女が本能に敗北し、愛の落とし穴に落ちる。本能と言っても、動物的なものではなく、躊躇や抑制を伴う。このあたり、昭和のよろめきドラマにも通じるが、マギー・チャンのチャイナドレス姿が、映画にある種の様式美を付加、俗っぽさを払拭している。

 ともあれ、抗しようとも抗しきれない愛。こういったテーマは、よかれ悪しかれ、これからも、尽きることなくシネマ化されることだろう。

 小さな世界の「よろめき」だから、女の夫や男の妻、すなわち主人公のパートナーたちの絡み方が密で交錯している。しかし、その設定はいかにも作り物感が強い。つまり、「よろめき」は舞台装置なのである。狭い人間関係が、香港の閉塞感を強める表現となっている。

 『花様年華』が繰り広げたのは、男女の愛の物語だけではない。二人の大人と彼らを取り巻く人々、空間、音楽の後ろには、秘め事とはいえ、それを許容し、成立させ得る都市空間が、街がシェルターのように存在していた。人間模様の背後に、それが見えて来るのである。

 2012年の香港。コロニアル感は大幅に後退していた。店に入ると、英語より中国語使用が主流になった感触。街には、ヒタヒタと忍び寄るものを感じた。それでも、二階建てバスやトラムが往復し、スターフェリーは優雅に海上を走っていた。古きよき香港は何とか生き延びていた。

 かつて香港は、街の片隅でひっそりうごめく男女を、忍びあう愛人たちを見逃してくれていた。そんな鷹揚なところのある、アジアのモダン・シティだったのである。

 

 

 

 


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