台湾・淡水・或る縮図〜陳坤厚 監督『小畢的故事』(1983、邦題『少年』)
今年(2023年)7月22日(土)より「新宿K’s cinema」で開催されている「台湾巨匠傑作選2023~台湾映画新発見!エンターテインメント映画の系譜~」にて、『小畢的故事』(1983、邦題『少年』)を見てきた(以下、『少年』)。
主催者側の謳い文句には、こうある。
2点ほど確認しておきたい。
まず監督は、陳坤厚(チェン・クンホウ)で、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)ではない。恥ずかしながら当方、侯氏監督作品と勘違いしていた。この映画は、侯孝賢が製作と脚本の任にあたり、監督が侯氏の『風櫃の少年』(1983)や『冬冬の夏休み』(1984)などの撮影を担当した陳氏ということなのである。
第二に、初上映の「初」というのは「デジタルリマスター版」が「初」ということで、初公開は1990年代に東京・三百人劇場で開催された台湾映画祭においてらしい。当方、その上映は見逃しており、今回初めての鑑賞となったもの。なお、台湾盤ながらDVDも発売されている。日本人ですでに見た人は、一定数いるということである。
1989年の『非情城市』で知られる侯孝賢監督については、詳しく説明する必要はないだろう。『少年』の舞台となっている台湾・淡水は、同じく台湾映画『不能説的・秘密』(2007年、ジェイ・チョウ監督、邦題『言えない秘密』)が気に入り、高校生の娘を連れて2011年7月に訪れたことがある。12年前のこの旅行は、当方にとって2度目の中華民国訪問。
ちなみに、台湾の著名ミュージシャンの監督によるこの『不能説的・秘密』は、淡水にある「淡江高級中学」というミッションスクールがロケ地になっている。この学校、中華民国初の民選総統であった故・李登輝氏の出身校として有名。映画は、周辺街区の雰囲気をよく伝えている。
『少年』の方だが、主人公の少年の住居が建つ水辺の風景が心に残る。少年の成長は、1960年代から70年代にかけてであろう。蒋介石政権の時代と重なる。少年は、当方とほぼ同世代。70年代初頭のヒットソング“Beautiful Sunday” を、アナログ・レコードで聴くシーンが出て来る。
ロケーションや当時の生活ぶりなど、日本人にとっても、ノスタルジーをかき立てる映像が続く。8月2日(水)に出かけた新宿の劇場には、中高年の観客が溢れていた。
サラッと見れば、「あぁ、懐かしい」で済ませられる映画だと思う。しかし多文化共生の現代。イメージは、少し相貌を変えて目の前に現れる。
焦点は、少年だけなく、その家族にも当たっている。特に母親の人生は、少年の成長と表裏一体である。
母を演ずるのは、台湾出身の張純芳。立ち姿が美しい。ご本人について詳しく知らないが、1991年、結婚を機に映画の仕事から退いた、とWEBで読んだ。
張純芳は、未婚の母の役で登場、外省人の男性と見合い結婚し、これがストーリーの始まりとなる。夫はたいへんな善人である。良き父親と愛情深く忍耐強い母親に守られながらも、少年の成長は順風ではない。
決して明るい物語ではない。少年の紆余曲折の陰に、殊更に両親の善意を描こうとした監督の真意はどこにあるのか?「或る縮図」が見えたのは、当方だけではあるまい。
脚本を書いた朱天文(チュー・ティエンウェン)女史は、父親が外省人、母親が本省人とのこと。彼女は淡水・淡江大学の卒業生。侯孝賢映画の多くの脚本を手掛けているのは、よく知られている。近年『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』(邦訳は2021年、竹書房刊)を出版。その中には、母親役を演じた張純芳についても言及があるらしい(同記載は未確認)。
侯孝賢は中国広東省の出身。1歳の時、家族で台湾に移住した人物とのことである。本作に限らず、台湾、中国本土、日本の歴史的関係は台湾映画を理解する手がかりになる。ノスタルジックな雰囲気を楽しむのも鑑賞スタイルの一つ。しかし、当方も帰属する東アジア。この歴史を思い起こすことで、受容イメージが脳内にさらに拡がる。
中高年の方々だけでなく、若い人たちにも是非、劇場に足を運んでもらいたい。コロナ禍が落ち着き、台湾旅行も復活していくことと思う。懐かしの淡水。今や社会人として働く我が娘にも、デジタルリマスター版『少年』を勧めておいた。