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海を渡る罪〜トニー•スコット監督『ザ•ハンガー』(1983)

 2024年9月。残書厳しい中、レーザーディスクをせっせとDVDにダビングしている。この4Kの時代に、我ながら往生際が悪いと思いつつ。

 LD『ザ・ハンガー』はかつて繰り返し見た作品。今回久しぶりに鑑賞し、「やっぱり意味深だな」と感慨に耽った。

 主演は英国のデビッド・ボウイと、フランスのカトリーヌ・ドヌーブ。まさに美の競演。容姿端麗だけではない。二人の欧州俳優を起用したところに、トニー・スコット監督の意図を感じる。

 スーザン・サランドンも輝いている。彼女がアメリカの俳優という点にも、仕掛けが見える。

 吸血鬼と言えば、小説ではブラムストーカーの古典『ドラキュラ』がすぐに思い出される。作者はカトリック国アイルランドの人。映画では、クリストファー・リー主演のクラシック作品や、フランシス・コッポラ監督のものが有名。ちなみに『ロマン・ポランスキーの吸血鬼』には、あのシャロン・テートの姿が。この手の主題は、概して宗教と関連づけされがちだが、『ザ・ハンガー』は趣きが異なる。

 吸血鬼は寄生怪物である。生産や労働とはおよそ無縁な種族である。

 しかも『ザ・ハンガー』では、その「存在」は不滅である。「生命」ではなく、「存在」という言葉ががしっくり来る。現代世界に、「死んでも死に切れない」哀れなモンスターがいるのである。ネガティブなあり方には、「生命」という単語は相応しくない。

 さて、イギリス、フランス、アメリカという構図が示唆するものは、壮大かつ連綿とした国際政治や世界史である。時間だけではない。帝国主義の版図を教科書などで確認してみてもよい。

 本作がさらに奥深いと感じさせるのは、子供が登場する場面である。監督は、デビッド・ボウイに「許せ」と言わしめている。

 吸血鬼の犠牲者たちは、「生命」を失うと同時に永遠の「存在」に変質する。ここにはパラサイトの継承がある。ただし子供の場合は、継承という時間軸だけではない。抑圧という構造がある。大人が子供を食い物にする。虐待する。このイメージは、現代社会のある断面を表しているとは言えないか?

 不老不死は幻想である。犠牲を伴う犯罪的行為なのである。この映画は、長寿だけではない、美しさの維持さえ罪深いのだ、と言っている。
 
 サウンドトラックの方は、クラシックな音楽が使われている。これも監督の作為である。また、スーザン・サランドンがドヌーブを評し、「彼女はユーロピアンなの」と呟くシーンは、物語りのキーポイントと言える。
 
 さて、二人のヨーロッパ人の継承者は誰か?
 
 トニー・スコットの兄であるリドリー・スコット監督には、『1492コロンブス』(1992)という作品がある。コロンブスをさほど侵略的には描いていなかったように記憶する。しかし当時、兄弟の関心領域には重なりがあったと分かる。開拓の英雄を描くにあたり、何らかの意見交換があったのでは?今度、再視聴しようと思う。

 『ザ・ハンガー』が制作された1983年時点で、吸血鬼の本拠地は、欧州からアメリカに完全に移った。それから約40年。その間には2012年のトニー・スコットの自死があった。

 華麗で残酷なパラサイトは、まだニューヨークに潜んでいるのだろうか?

 
 
 
 
 
 
 


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