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「明日何着ていく?」の解は


ファッションが好きなんて言ったらきっと笑われちゃうな。

十代、二十代を通して、私は太っていたので、そう思って、おしゃれになる努力もせず、全身もっさりしていた。ファッションに代表される綺麗なもの・素敵なものを好きになってはいけないと思っていた。

「ファッション好き」は、体がスラっとしていて、努力を怠らない人が名乗れる称号だ。私なんてファッションを好きだと言う資格なんてない。

いや、というよりは「デブがファッションが好きとか言ったら馬鹿にされるから、関心を持ってはいけない」と思っていた、というのが正しい。それなのに、「ファッションやおしゃれはみんな(特に女の人)が好きでなければいけない」という矛盾する思い込みもあった。

そんな思い込みがあったから、いつのまにかファッションに背を向け、ファッションに無関心になっていった。

今思えば、なんでそう思っていたのか不思議だ。そもそも太っていてもファッションが好きならそれでいいじゃんか。
私の生活環境の内外に、太っている人や、憧れるようなものを馬鹿にしたり、嫌ったりする人がいたのか、自分で勝手にから回っていたのか、原因となることはもう思い出せない。

が、ファッションが好きじゃない・関心がない、と自身を装いながらも、成長することで一つの問題にも直面していた。その名も「正しい服を選ばなくてなならない」問題だ。
「ファッションに関心はないけど、センス抜群!」そんな漫画の主人公のような見栄っ張りレベル120の設定がうまくいくはずがない。そもそも最近の漫画は努力を高評価しているし。
ファッションセンスというのは、天資があるひと以外は、反復練習や失敗をして鍛えていくものだと思う。
そのため私は大人になった時、非常に困った。練習不足が祟って、似合わない服ばかり買ってしまう、という症状に襲われたからだ。
もちろん、自分が好きな服ならば、似合わなくったって平気で着ていい。現代の最適解が「自分の好きな服を着る」なのはわかっていたが、私の場合、似合わないとわかるとその服の輝きも失われてしまった気がして、自分で選んで手に取った服が好きではなくなってしまっていた(これは服は悪くない、私が全部悪い)。
また、プライベートで似合わない服を買ってしまうのは自分が恥ずかしい思いをすればいいだけだが、TPOを考えない服装を選んでしまったらどうしようと、教育実習や会社訪問の前、入社してからも非常に不安に思っていた。
なんせかんせ、服はお手頃な価格のものを選んでも、一通り揃えると金額はかさむ。一つの狂いも許されないのだ・・・

そういうわけで大人になってから、私は服を選べなくて途方にくれた。


そんな私が服を好きになった理由は、「いろんな人がいる」「そもそも他人は私に関心がない」と知ったことが影響している。
社会にでることで、強制的にいろんな人とであい、人との関わりを持つことで知ったことだ。

それは服を巡る内省に疲れ果てていた、30歳になる前だっただろうか。急に痩せはせず、相変わらず太っていたが、急にファッションについての悩みがどうでもよくなった。
世の中には嫌なやつにしろ、聖人のようないいひとにしろ、いろんな人がいる。たいていどちらでもない無害なひとが多い。
しかし、特に嫌なやつは出会ってしまったら最後、そいつという「存在」が私にとって邪悪なのだから、そいつの着ている服なんてどうでもいいし、そいつに私のファッションセンスを言われる筋合いはない。
そして、「街中でもチグハグな服を着ている人は、結構多い」という事実。
俯瞰してみれば、その中で私は十分埋没するレベルである。人に迷惑かけなければいいし、奇抜な服を着て職場に馴染まなければ、上司が注意するだろう。
現実に直面し、唐突に理解した。
「そもそも無害のひとは私のファッションチェックをしない」
「そもそも私はそんなにファッションが好きではなかったのに、周りの目を気にしていただけなんだ」
すると、恐れていた実態がわかり、がすぅーっと軽くなった。

それから服を買うときは、一番は「場に浮かないこと」と定めた。
馴染む」「無難」という軸を決めると、一気に気が楽になる。雑誌や通勤電車の中で見かける同年代の女性の服装を参考にしながら、リーズナブルなものを用意した。
今までは、「私なんかが服について聞くなんて恥ずかしい」と自意識過剰に思い強がっていたが、誰も私のことに関心がないとわかると、自然とネットで検索したり、店員さんに訊ねられるようになった。

すると、「太っている」という事実以外に、自分の骨格(ストレートとかウェーブとかナチュラルとかいうヤツだ)という骨格に似合う服があることを知った。肌にあう色(ブルベとかイエベとか)があることもわかり、それらに抵抗もなく手を伸ばせた。

似合う服を身に纏って見ると、皮肉なことに「この服、いいじゃん!」と、自分に似合うものを手に取ることができた。「その服似合ってるね」と言われると、ファッションが好きになった。
年齢を重ねることで、年収が増したということもある。もちろんいまだに好きなだけ好きなものを買えるというわけではないが、余裕ができ、雑誌に掲載されているものも、何個かに1個は手に入る。

そういうわけで、私は30歳を境にファッションとそれを巡る苦しみから解脱できた。
ひょっとしたら思い込みだとしても、現在は自分に似合う、自分の好みの、しかもリーズナブルなものを選ぶことができる。

十代の頃のようの自信のなさはない。そして、二十代の頃のファッションに対する関心や必死さも同様にないが、三十代の私は私なりにファッションが好きだ。
今は季節の変わり目に服を買おうと雑誌をめくるとき、流行りの服を検索するとき、ちょっとワクワクしている。


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