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勝負すること、負けること、受け入れること。

最近読んだ記事で、
ものすごく強い共感と、
衝撃を受けた文章があった。

「負け組」になってからが人生たのしい、と思った日

りょかちさんの記事。

これまで失礼ながら彼女のことを知らなかったけど、よくよく調べるとわたしと同い年。

洞察の深さ、表現力の豊かさにただただ脱帽。

冒頭の、

地元でもわかりやすいくらい優等生だった私は、小さい頃はいつでも「一軍」の人間だった。

とか、

誰かの脇役の人生? ありえない。「正しい人生」はいつも、私の手の中にある。
だから、自分で何かを選ぶことが苦手だった。 だって、いつも誰かに選ばれる人生だったから。

とか。凄い。

小、中学校、高校と、
それなりに勉強もできて、
スポーツもできて、
人前に立つポジションに推薦されて、

…という人生を送ってきた
わたしの心の中にあった、
自分が感じていたけど言葉にできなかった
(言葉にしてしまうのが怖かった)感情を、
こんなにも痛快に表されるとは。

わたしが、
自分自身で選べないと
気付き始めたのは大学生、就職活動のころ。

そのころは、
“自分はどこに行っても
なんとかやれるタイプだと思ってる、
まあどこでもいいや、
やってみないとわからないし”
などと考えていた。

得意のポジティブ風で誤魔化した。
周りが内定もらい始める中で、
そこから遅れをとる自分が嫌だったから、
とりあえずやってみないとわからないし、
で、会社を決めた。

今この記事を読んだ後に思い返すと、
やりたいことがわからなかったのは、
これまでみんながわたしのことを
選んでくれてたからだったのか。

そして、大学の時に、
選ばれない側の立場になったことから
目を逸らしたから、
選べない自分すらきちんと認知できず、
ここまで来てしまったのか。

そうやって選んだ今の会社、
自分自身のこれからどうやって働いていこう、
っていう姿が見えず、
行き詰まっている状態になっている。

わたしは、
高校生までの人生の貯金で、
大学生活を乗り切ったなと思っていたけど、
人生の貯金の陰に隠れた負債を
ここまでほったらかして生きてきてしまった。

人生で大きな挫折なんてしたことないけど、
と思っていたけど、
かなり慢性的な、疲労骨折のような
厄介な挫折を引きづり、
認めずにここまで来てしまったんだと、
最近ようやく気付き始めた。

りょかちさんは、
選ばれない側に回った自分を
きちんと認知し受け止めて
負ける悔しさを知り、
負けたことで勝つ喜びを知った。

それに対してわたしはどうだろう。
負けて悔しいと思えるフィールドさえ
自分で見つける努力を怠って、
会社の仕事が楽しくないだの、
やる気のない先輩を尊敬できないだの、
垂れ流している。ダサすぎ。

こんな生き方、嫌だ。
わたしがこんな大人になるために、
両親は勉強させてくれたわけじゃない、
大学に通わせてくれたわけじゃない。

負ける悔しさを知りたい。
勝つ喜びも味わいたい。
もっと、生きたい。

世界はきっともっと広いんだ。
たくさんの面白い人に出会って、豊かな人生を送るんだ。

今のわたしに、守るものなんかないし、
しがみつくものなんてない。
鈍い痛みと闘いながら、
これまでの自分とは違うベクトルで進むと決めた。


https://note.mu/honohana_flower/n/neaee8d5685d0

この記事を書いた2ヶ月半前より、少しは前に進めてるかなあ。

#小さな変化 #人生考察中 #りょかち #負けを認める #選び抜く力 #書くこと #表現すること #日記

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