花束を君に
3連休に母の誕生日がありました。
わたしは実家を離れてるのでプレゼントも兼ねていろいろ詰め込み、小包をひとつ送りました。
前に大阪に彼女がきた時に買いそびれた茅乃舎のお出汁パック、わたしの名古屋お気に入りみやげの名古屋コーチン混ぜご飯の素、お盆に借りっぱなしだったハットとウインドブレーカー(って今時言うのか?)、そして、サムネイル写真のハーバリウム。
文章は上手なはずなのに、デジタルで送ってくる言葉がいつもなんだかぎこちない(そっけなく見える)母から、最大限のありがとうLINEが届きました。
我が家は、昔から家族内であんまりプレゼントを贈る贈られるという習慣がない家で、もらえなくても普通、とりあえず言葉は送っとこう、という家庭。
そんなこんなで、わたしもプレゼントを贈ったり贈らなかったり、その時の気まぐれと、お財布の状況を見て選んだり選ばなかったりしていました。つまり、家族にモノを贈るという優先順位があまり高くなかったのです。
もちろん、感謝してないことはないし、おめでたいと思っていないわけじゃない。
だけど、なにかを贈りたいという気持ちが、心の奥底から湧き上がるほどのものもなかったのでした。
そんなわたしが今年は珍しく母に贈りたいと思って贈ったもの、それがこのハーバリウム。
前々から、ハーバリウムかわいいよねえ〜って言ってたなあってのを覚えてたんだけど、たまたまこの前百貨店の催事場でいいタイミングで発見したのです。
しかも、たくさんの種類が並んでいて、かつちょっと寸胴な形なのも安定感があって飾りやすいなって。
そして何より、素直に母にこれからの人生を、わたしや弟の母としてではなく、ひとりの人間の人生として楽しんで生きてほしいな、って思ったから。
わたしが生まれた時から、母はわたしの母でした。ママ、お母さん。
それが彼女が持つ顔のひとつでしかないことにわたしが気づいたのは、恥ずかしながら本当にここ数年のことです。
ああ、この人はわたしの母である前に、ひとりの女性、人間なんだな、と。
それを強く思ったのは、年の離れた弟が、進路をどうするこうするで家の中が珍しくちょっとばたついてもめてた時でした。
わたしの母は、基本的に人に弱みを見せたり甘えたりするのが苦手な人だとわたしは感じています。(そしてわたしもそれを受け継いでいる。笑)
そして世話焼き。
世代的に会社でバリバリ、というわけではなかったけど、あと生まれてくるのが30年遅ければ、かなり仕事のできる女性として社会で活躍してたんじゃないか、と思ったりもする。
だけどその時の母は珍しくわたしに、大変なんだ、辛いんだ、どうしよう、というのを伝えてきて、わたしも離れているのでうんうん、としか話を聞けなくて、心配する一方で、ああ、この人も人間なんだよなあと妙に客観視してしまって。
サラリーマンの旦那、自分はパートタイマー。
贅沢するわけでもなく、おしゃれするわけでもなく、美容にお金をかけるわけでもなく。
年々愛らしい体型になっていく母。
(結婚式の写真はかなり美人なのよ〜これがまた)
この25年あまり、わたしと弟を第一に考えて朝から晩まで家のこと、会社のことで目一杯。
彼女の人生を生きられたんだろうか。
と、思ったわけです。
気づくのが遅くてごめんね。
本当にありがとう。
彼女はいつもわたしに言います。
あんたの人生なんだから、好きなことして生きないと!人生一度きりだよ!って。
確かにわたしは人生を振り返っても、何一つ両親に反対されたことがなかった。
ごく普通の家庭だったけど、金銭的なことを言い訳に止められたことは一度もないし、子どもを信用して、なんでもやらせてくれたよね。
だからこそ、何をして生きていこう、という道筋が立てられていなくて、覚悟もできていない今の自分がいやになる。
わたしが自分のやりたいことを好きなように全力でやることが、一番の親孝行だと思っています。
誰かのために自分の人生を生きるつもりはないし、親の期待に応えるために自分の人生を生きるつもりもない。
だけど、わたしが自分の人生を納得して全うすることが、両親に感謝を伝える方法だってことは重々承知しています。
少し話は逸れたけど、25年あまり、母として全力で生きた母には、これからは自分を主人公にして全力で生きてほしいです。
綺麗なものをうっとりと眺められる時間、美味しいものをゆっくりと味わえる時間、素敵な洋服にときめける時間、そんな時間を大切にしてほしいです。
だから、花束は送れないけど、ハーバリウムを君に。
美しいもの愛でる豊かな人生を、まだまだ長いこと元気に楽しんでください。
わたしも楽しい人生を送るからね!
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