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手放したり、つかんだり

おはようございます、けさも早起きです。きのうは比較的あたたかかったですが、きょうも空気はぬるんでますね。さて、きょうも訳の分からぬ話をして参ります。よくまあ、禅のことばに「手放す」というのがあって、これはなかなか便利なことばで、こう、まあ、執着していない状態というのが、仮にあったとして、それが手放すというもののようです。で、手放せ!と言われて、喝ッとか、棒でぶたれたり、祖師禅のころなどは大変だったと。

でもね、こうも思うんですよ、手放しっぱなしってことはない。手放したら、こんどはつかみたくなるんですよ、で、つかんだら、今度は疲れて、手放すんです。それは緊張して、そしてほどけるという、生命のリズムであり、自律神経系でいえば、交感神経と副交感神経があるということ。で、このあたりのリズムがつかめてくると、おのずと、自分なりのリラックス法が生まれてくると。

わたしの場合は坐禅したり、白湯をのんだり。で、坐禅って、まあ、眠くなるものだし、そういうもんだってこの間、とある高僧の方の本を読んでて載ってて、そうだよなっておもったよ。眠気完全シャットアウトっていうんじゃなしに、眠気を打ちさまし、うちさまして、それで坐り続けるのだと。ぐうぐう寝るんじゃなしに、こう、ちょっとふらっとね、来るくらいは致し方なし。それで坐禅やめた!ってならないで、まあ続けていくことなんだろうね。

さて、今日の一冊

日本的仏教というか、この国の仏教摂取のありようを思わせて、また、なによりひとつひとつの話が奇妙でユーモラスでおもしろい。ぜひ、おすすめします。

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