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【適応障害になった大学生】  21年間も「生きづらさ」を抱えていたらしい私。

さて、本日は病院。

「今週はどうでしたか?」というアバウトな質問に、いつもしどろもどろしてしまってうまく答えられないので、今日はメモを書いてそれを渡す作戦でなんとか乗り切ることに成功。

結局のところ、抗うつ薬と睡眠のお薬の量が増えただけ、という感じ。

「抗うつ薬は3錠に増やすとスッと楽になるからね〜。死にたいって気持ちもなくなると思うよ〜。」

とお医者さんは言うけれど、正直半信半疑。

そして、前回の受診のときに検査された、発達障害の結果が。

なんと!わたし結構ASDの傾向あるらしい!え?

うん、確かにネットのセルフ診断とかは、面白いくらいチェックがつくのだけれど、思ってたより傾向が強いみたい。

「今まで辛かったね」

と言われたけれど、「わたし、辛かったんですか!」と言う気持ち(笑)

聴覚過敏や感覚過敏はASDの特性のひとつだろうし、思い返せば、わたしは一度ハマった食べ物はしばらく食べ続けるし、こだわりはかなり強い。

ハマったものはとにかくハマり倒す(地理とかね)。

ひとり遊びも得意だった。一人っ子なのもあるが、幼い頃は1人で黙々とパズルを組み立てては壊してを繰り返していた。

まあ、これまでの自分の行動になんとなく納得がいったと言う意味では、自分にASDの傾向があるとわかったのは面白かった。

中でも「特定の物事に向いている注意を切り替えること」が特に苦手らしい。なんとなくわかるような気がする。

ただ一つ、ショックだったのが、「想像力」の項目の点数が低かったこと。

わたし、こんなに本読むし、考え事するのに、想像力ないんですか!

でも確かに、昔から対人関係はかなり悩んできた。

こういう性格なので、友人は多い方だし、友達作りに困った記憶はあまりない。

しかしながら、その関係を深く長くしていくのは結構苦手だと思う。

ずっと、自分と違う考えを持った他者の気持ちを想像することができなかったのだろうなぁという気がする。特に小学校や中学校までは。

成長する中で、徐々に、相手の気持ちはわからないけど、常識と照らし合わせながら自分の感情をコントロールすることを学んだ。

そして、大学に入ってからは、「自分と違う価値観を受け入れるとはどういうことか」という問いが永遠のテーマだった。

いまだによくわからないけど、わたしがわたしを優しくないと思う理由がここにあるのだろうなと感じている。

わからないけど、わからなければうまくやれないから、たくさん考えて、本を読んでお勉強をして、失敗して、後悔して、を繰り返してきたんだろう。

そうか、これが俗にいう「生きづらさ」というものなのかもしれないな。

わたしは21年間、この些細な「生きづらさ」を抱えながらも、社会に適応するためにたくさん考えてきたんだなぁと思うと、幼き頃のわたしの頭をヨシヨシとしてあげたくなった。

本当に、わたしは感情のコントロールが苦手な子どもだったと思う。

もしかすると、想像力がないから、わたしの中の引き出しにある感情と照らし合わせることでしか、他者を理解できなかったのではないだろうか。

その引き出しを、小説や音楽を通して徐々に増やしていき、理解はできないけど、そんな人がいるのだということはわかるようになってきたような気がした。

そして、今自分が病気になったことで、自分の中に「痛み」という引き出しが増えた。

わたしがずっと理解できなくて、ずっと欲しいと思っていた引き出しだったのかもしれない。

自分の行動に納得がいくというのは、とても興味深い。

人生が急にハードモードになってしまったことは、口が裂けても「よかった」などと肯定する気にはなれないが、それでも、これをきっかけにわたしはより一層わたしという人間を知るきっかけを得ることができた。

カウンセリングはしんどいけど案外楽しい。

もはや今の私にとって、週に一回のカウンセリングだけが生き甲斐と言っても過言ではないほどに。

自分は案外自分を理解できていないものなんだな。


追伸(どうでもいいひとりごと)

これまでのnoteは「私」と表記してきたのだけど、昨日あたりから「わたし」と表記している。これは完全にわたしがひらがなの方が好きだからそうしているだけなのだけど、MY推し作家さん曰く、漢字をあえてひらがなで書くことを「ひらく」と表現するらしい。言葉を「ひらく」ってなんだかいいなと思ったわたしでした。

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