【うつ病になった大学生】 「わたし」を知りたいという、不謹慎で贅沢な感情
今日は通院。本当は来週だったけど、諸事情で主治医と作戦会議をするために急遽受診をすることに。
おかげで、ちょっと不安は和らいだかな・・・?
とはいえ、謎に連勤をしてしまったのと、若干テンションがずっと高かったこともあって、夕方ごろから感情がジェットーコースターな日。
「さっきまでは調子良かったのに!」となるから、こういう日は厄介。
一日中病んでいた方がまだマシ・・・?
今日は本来であれば、教育実習の事前打ち合わせだったので、実家に帰省しているはずだったのだけれど、今年度に教育実習に行くことは諦めた。
もう無理だと思って、決心したはずなのに、今日になって悲しくなって久しぶりに泣いた。
診断名が「適応障害」だった頃(発症初期)は、悲しい、怖い、辛いという感情が常にあって、ずっと心臓を掴まれているような感覚があったり、毎晩毎晩涙が止まらなくてパニック発作が頻発したりしていたけれど、「うつ病」と言われるようになってからは、そういう感情になることが少なくなった。
多分、それは改善したのではなくて、脳機能が低下したせいで、そういった感情を失ったといった方が適切なのだろう。
だから、今日の「悲しい」という感情で涙が出たのは、ちょっとびっくりした。久しぶりの感覚だった。おかえり、わたしの悲しみ。
結局、一通り泣いて、泣き疲れた後はいつも通り感情を失ったまま、虚無で天井を眺めていたのだけれど。
カウンセラーさんからは、平日に動きすぎていることと、それによって常に気を張っているせいで、休日に一気に反動が来てしまっているんじゃないかと、若干怒られた。
主治医は、わたしが言うことを聞いて休むと思っていないので、少なくとも希死念慮が落ち着くまでは、長期で入院させようか悩み始めている(そうなると、卒論の調査いけないなぁ)。
最近は記憶が飛び飛びになることがしばしば。
教育実習の件について、なんとか大学に電話したけど、その数時間後には「電話したっけ・・・?」と内容も電話をしたこと自体も記憶になかった。履歴に残っていたので大丈夫なはず。
調子が悪い日は、買い物もスーパーで迷子になりかける。というか、何を買いに来たか思い出せなくなる。
洗濯機を回したことを覚えていられなくて、2回も洗濯することも増えた。
引き算の暗算はまだ割と早くできる。
本は相変わらずほとんど読めないけど、わたしの内側が言葉をあまりに欲しているので、最近は好きな詩集から詩を模写してみたり、朗読してみたりしている。
これが最大限の抵抗だ!と言いながら、何かと格闘している。
だけど、最近は面白い文章を書けなくて悲しい。てりたまの記事みたいな文章を書きたい(以下参照)。
相変わらず、バイトとゼミの前は頓服を飲まないとこなせない。
なんで、なんで、わたしが教育実習も学問も青春も、何もかもを諦めなければならないのだ。そんな怒りを感じることもあるけれど、ぶつける先がわからないので、その辺をふわふわした後で、二酸化炭素をいっぱい含んでわたしの中に帰ってくる。厄介。
自分のことを認められなかったり、好きになれなかったりして、攻撃し続けることも、立派な自傷行為じゃん、って思ったりもした。
「あなたは計算問題しかできない」「あなたは読解力がない」「あなたにはスポーツの才能がない」「あなたは歌が上手くない」「あなたは・・・」
「あなたは本が好きで偉い」「あなたは運がいい」
母のことをあまり悪くは言いたくない。
でも、これらは全部、わたしが長い長い時間の中で、母から言われ続けていた言葉。
いつの間にか、わたしの口癖にもなっていた。
だから、わたしは自分の文章に自信がないし、十年続けている歌にも引け目を感じ続けながら生きてきた。
でも、それを言われていた小学生のわたしは、まだ未熟だっただけで、その後の時間の中で、わたしはじっくりそれらをちゃんと克服してきたのだと思う。むしろ、人並み以上に。
だから、母から褒められることが増えていったように思う。
それでも、わたしの中には、今でも呪いのようにその言葉が付き纏っているのだなと、カウンセリングの中で突きつけられて、それがとても痛かった。自分を傷つけられるより、母のことを言われることの方が、100倍くらい痛かった。それは、わたしが母のことが好きだからだと思う。
わたしは確かに傷ついてきたんだということを認めざるを得なくなった今、その矛盾した感情に絡まって、わたしは身動きが取れなくなってしまった。もう、どうしたらいいのか、どこに帰ればいいのか、誰に助けを求めたらいいのか、全くわからない。
こうやって書くことで、とりあえず、わたしは今混乱しているのだなということを、わたしに教えてあげる。そうすれば、今度はカウンセラーさんと一緒に抜け道を探し出すことができる。
ずっとそれの繰り返し。長い長い旅。
旅は得意だ。それに、こうなってまでも、わたしはわたしのことを知ることが面白いと感じている。それは、あまりに不謹慎で、贅沢な感情だ。
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