【適応障害になった大学生】 あれでもないこれでもない言葉
とても素敵な言葉に出会った。
そして、どうしても伝えたい言葉を思いついた。
本当はここに書いてしまいたい。
だけど、この言葉は書かない。
私が本当に伝えたいあの人のためだけの言葉にしたいから。
だから、便箋にこっそり書いて、封筒に入れてしまっておいた。いつかそれを渡せる日が来るまで、大切にしまっておくことにする。
言葉や感情は目に見えない。
だから、昔は音で語り継いだ。
それが和歌のリズムを生んだ。
でも、私たちには文字がある。
記録して、伝えることができる。
100年前の詩を歌うことができるし、1000年前の恋に想いを馳せることもできる。
それはとてつもない営みだと思う。
だからこそ、丁寧に紡がれた言葉は、丁寧に受け取りたいし、私自身がそんな言葉の紡ぎ手でありたいと強く願う。
私が適応障害になったとみんなに伝えたとき、たくさんの人がメッセージをくれた。
応援してくれる人、共感してくれる人、中には正直に「何を言ったらいいのかわからない」と送ってくれた人もいた。
どの言葉の背後にも、傷ついているであろう私を想って、あれでもないこれでもないと、丁寧に言葉を選び届けてくれた優しさを感じた。
それは、とてつもない愛だと思う。
言葉は時に強力な刃物となる。
簡単に人の心を切り裂くことができてしまう。
だけど、同時に言葉はお守りになる。
本当はとても儚くて温かいものだと思う。
だから私はnoteを書いている。
この傷んでいる私だから感じられる世界の優しさや悲しさを忘れないために、今の私だから紡げる言葉を残したい。
それは私自身のお守りになる。
そして、同時にそれが誰かのお守りになることがあれば、そんなに嬉しいことはない。
だけど、私はまだまだ言葉の伝え方があまりに下手くそすぎる。
感情がうまく言葉をコントロールできない。
それゆえの、たくさんの後悔と贖罪を背負って生きているのだと思う。だから自分を許すことができないでいる。
どうしたらいいのだろうなぁ。
どんなに勉強してもわからない。
お勉強だけじゃだめなのだ。
考えて、感じて、傷んで、そうやって豊かさと優しさを手に入れていかなければならない。
それが賢さだと思う。
修行だな。
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