【適応障害になった大学生】 遠い場所の会いたい人たち。
旅をした。
はじめましてのまちと、ただいまのまちへ。
遠い場所で偶然出会った旅人と語らいながら、自分のことを見つめた。
今回は、地震や土石流で大きな被害を受けたまちまちを訪れた。
そこで生きる人たちの語りを聴きながら、その場所で生きることについていろんな想いを受け取る大切な時間。
わたしは、この1年間、震災についていろいろと考えてきた。
それは、わたしの生まれた土地の記憶を巡る長い長い人生をかけた旅の始まりでもあったのだと思う。
今回の旅の中で、何度津波に流されても、何度洪水に飲まれても、何度も何度も同じ場所に家を建てて暮らしてきた人たちに出会った。
全く異なるそれぞれの場所で。
わたしは、失うことは悲しいことだと思ってきた。
そして、「被災地」「被災者」とカテゴライズしては、そこで失われたたくさんのことを悲しいと思ってきた。
だけど、そこで生き続けている人たちは、ずっとその悲しみの中にいるのではないのかもしれない。
もちろん、災害によって尊い命が失われてしまうことはとても悲しい。
その傷を癒すことはあまりに難しいことだし、わたしの想像の及ばないほどの苦しみを抱えている人たちがたくさんいることは事実だ。
だけど、その中でも日々は進んでいく。
まちは復興していく。
そこで生きて、場所を作っている人たちの存在を忘れないようにしたい。
「こんな災害のことばっかしゃべてきたけど、ほんとはこのまちのいいところもみんなに知って欲しいんだ」
というおじさんの言葉が忘れられない。そして見せてくれた写真は、本当に美しかった。自分の住んでいるまちのいいところを胸を張って紹介できるということは、素晴らしいことだと思う。
「被災地」とわたしたちがカテゴライズしてきた場所は、人々が暮らし、土地を編んできたかけがえのない場所だ。
そして、わたしたちは目の前の人を「被災者」とカテゴライズして、悲しみや哀れみの目を向け続けてはならないと思った。
もちろん、助け合うことは大切だ。
だけど、わたしはその土地で出会った人たちの語りを、もっと対等に聞かなければならないと思う。
悲惨な語りだけを求めるのではなくて、その土地で暮らしてきた人たちの物語を知りたい。
今回の旅で、自分の土地について嬉しそうに語る人たちとたくさん出会った。わたしの目には見えないけれど、その人たちの心の中に確かに存在するキラキラしたものを語っては、「いいでしょ!」と大切に手渡してくれる、とても温かい人たち。
だから、わたしは旅人として、そのキラキラしたものを受け取って、一緒に「いいですね!」と抱きしめた。
都市にいると、あまりの便利さにいろんなことを忘れてしまっているのだ。
それを忘れずに生きている人たちがいる。
わたしは旅をして、土地の人と語らう度に、大好きな場所がどんどんと増えていってしまう。
それはあまりに幸せなことだ。
「今度は一緒に地形図見ながらこのまちのこと話そうな!」
ただの旅人とそんな約束をしてくれるおじさんがいる。
「このまちには民話がたくさんあるんだ!だから次来る時は電話しなね!何日かけてでも教えてあげるね!」
遠い土地のおばあちゃんとメル友になった。
そこにいるわたしは、何者でもない。
旅に出ると、わたしは旅人になれる。
それがとても嬉しい。自由なのだ。
だからわたしは旅をするのだと思う。
そして、今はもう一度あのまちに行き、会いたい人に会い、土地の物語を聞くために生きていなければならない。
わたしにはいきたい場所がたくさんある。
それなのに、行った先々で出会った人たちに、「絶対また来ます!」と安易に約束を取り付けては連絡先を交換する。
会いに行こう。そのために生きよう。
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