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【適応障害になった大学生】  病院なんてくそくらえだ!!

2週間に1度の病院。

抗うつ薬の量が増えて、朝起きやすくなった気がすること、前よりは動けるようになった気がすることを伝えた。(まだそんな気がするだけという感じだけれどそれでも前進!)

ただ、活動するとすぐに疲れてしまうし、相変わらず頭痛や耳鳴り、目眩は日常的にあるし、睡眠も眠剤が増えて寝付きは多少改善されたものの、寝た気がせず、一日中眠たい状態が続いていることを話した。

「今の自分は何点?」と聞かれたので、高めに「50点くらい」と答えたら、なぜだか朝に飲むお薬が1種類増えた。

目が冴えて、より活動できるようになるらしい。

前までは10点とか20点とか言ってたので、これもまぁ前進なのかな…?

心療内科って、あんまり役に立たないよなぁと思う。

診察は5分くらいだし、もはやお薬を出してくれるだけの場所だと割りきっている。(この割に毎月3000円の出費がかさむのだから、痛い。)

仕方ないのかもしれないけど、自律神経やその他諸々の依存チックな行為についても前々から話しているにもかかわらず、結局そこへの対処は何もなされないのだから、私はなんとか眠るためだけに病院に行っているだけだ。

眠れないのだけはどうにもならないくらい辛いから、病院には通う。

でも、睡眠障害がなければ、多分とっくに病院に行くのはやめている気がする。

カウンセラーさんと相談して、転院することにしたけれど、精神疾患の病院なんてどこもそんなもんだと聞くし、あまり期待はしていない。

とりあえず、セカンドオピニオンは大切、ということで、違う病院も行ってみるかぁという感じ。

ただ、病院に行って診断が降りたことで、自分の中で諦めはついた気がする。

本格的に体調を崩してから受診までの約4ヶ月間、本当に体調不良なのかな、それとも自分の怠惰なのか、わからなくて休めなかった。

今でも「怠けている自分」への罪悪感や焦りはかなりある(いや、実際は「動けない」のであって「怠けている」訳ではないのだけれど)。

「適応障害です。」と診断されることで、「わたしは病気なんだ。休んでいいんだ。」と、心がホッとした。

とはいえ、やはり世間では、うつなどで「動けない人」への風当たりは強いなぁと思う。

わたし自身は幸い、学生という身分もあるし、症状が比較的(うつ病などと比べて)軽いのもあって、心無いことを言われたことはないと思っているけれど、周りを見ているとそんなことはないなと思う。

うつの状態のときに出会った人は、その状態がその人の本来の姿だと思って評価してしまう。けれど、それは違う。

うつは人を変えてしまうからだ。

元気になって初めて、わたしは本当のその人を知ることができると思っている。

とはいえそのせいで、今まさにわたしは自分の感情の矛先を向ける場所を失っているのだけれど……。

やりたいことをできない辛さがわかるから、相手も辛いだろうなと思ってしまう。

たとえそれで自分が不利益を被っていたとしてもだ。

こんなだから、わたしは結局いつまで経ってもわたしがこうなってしまった原因を、自分自身にばかり求めてしまっては苦しくなるのだろうなとは思う。分かっている。

自分を労ることと、相手を労ることの狭間で揺れ続けながら、わたしは自分が我慢し、頑張り、そして他人ではなく自分が傷つくことで、尖ったものから目を背け、この世界は未だ丸いままだと自分に言い聞かせているのかもしれない。

わたしは人生の中で人を傷つけてきたと、何故か強く思っているからこそ、人を傷つけるより自分が傷つく方が、ずっと楽なのだ。

この認知の歪みを直さない限り、わたしはこのうつの波からは抜け出せないだろう。

自分を愛することほど難しいことはないんじゃないか?

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